これを見ながら歩きました。
でも、私達は多少コースアレンジしています。
前編では、以下を紹介しています。
近鉄・桜井駅・9:00~大神(おおみわ)神社・9:49~磐座(いわくら)神社10:02~狭井(さい)神社10:06~玄賓庵(げんぴあん)10:32~桧原(ひばら)神社10:39~纒向(まきむく)遺跡11:22~↓
https://arukuno.seesaa.net/article/201603article_2.html
この後編では
~相撲神社11:28~大兵主(だいひょうず)神社11:34~ひもろぎ遺跡11:58~渋谷向山古墳・景行(けいこう)天皇陵(昼食12:17~12:42)~行燈山古墳・崇神(すじん)天皇陵13:31~天理市トレイルセンター・山の辺の道の休憩所13:42~(戻って)櫛山(くしやま)古墳~崇神ルート~龍王山古墳群14:21~崇神天皇陵~黒塚古墳15:16~JR柳本駅15:30
と、紹介していきます。
全行程は6時間半となりました。
「山の辺の道」についての事や交通アクセス等は前編にあります。
前編の最後に紹介した纒向遺跡の掲示板から緩やかな坂を登って行くと、
ピンクと白い花が仲良く咲いている梅の木がありました。
上下に色分けなので、源平咲きというより接ぎ木でしょうか。
その先の鳥居を潜って行くと、
右に相撲神社です(11:28)。
ここが相撲発祥の地だそうです。
合わせようとした訳ではありませんが、
この日が大相撲春場所の初日。
垂仁(すいにん)天皇(崇神天皇の皇子)の頃、
大兵主神社神域の小字カタヤケシにおいて、野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)が、日本最初の勅命天覧相撲を行った。
これが日本の国技である相撲のはじまりとされる。
相撲節が7月7日に定められ、それが元で宮中の行事になったそうです。
ブルーシートで覆われた土俵の奥に小さな社があります。
その左には版画を模したデザインの「勝利之聖」と彫られた碑があった。
平成25年の設置ですから、真新しい。
そこから直ぐ、穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社に到着(11:34)。
由緒には大兵主神社とあり、崇神天皇60年の創建です。
大和一の古社ともあります^^;
元は穴師坐兵主神社(名神大社)、巻向坐若御魂神社(式内大社)、穴師大兵主神社(式内小社)の3社で、室町時代に合祀された。
ここは穴師大兵主神社のあった場所です。
元へ戻り、そのまま下ると万葉の楽園の看板がある。
「大和シャクヤクの復活を目指して」と書かれている。
この辺りに、大和芍薬、薬草、薬木を植えているみたいです。
更に下ると、陶芸作品が並んでいた。
お雛様セットが可愛い。
植物博士こと、友人の陶芸作家さんにプリントして渡そうかと思います。
広い道をそのまま下ると、巻向駅に行ってしまう。
前編にも貼付したガイドの地図を御覧下さい。
緑のラインが私達のアレンジコースで、
青のラインが地元の青年に案内して貰ったコース。
ここから細い道に入ります(11:52)。
突き当りで広くなり、小石が敷かれていた。
右へ行くようになっていて、やがてこんな標識。
直ぐの、この石は遺跡のようです。
説明もあるのでご覧ください。
戻って、このような道になる。
地図は直進するようですが、
私達は左の景行天皇陵へ。
暫らく行って、振り向くと、
田圃の畔道のよう。
前方は、左に大和三山、
背後に大きくあるのは、右の葛木山と、左に金剛山です。
やがて右に鳥居が見えてくるのは宮内庁管轄の敷地。
全長300mの渋谷向山古墳は全国で7番目の大きさ。
4世紀後半に築造されたもので、景行天皇陵に治定された。
その前(地図の白○)で食事にします(12:17~12:42)。
左にベンチと芝生があり、座って寛げます。
誰も居ないので長閑な感じ。
景行天皇は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の父上とされている。
この右が国道169号で、これを隔ててパチンコ屋がありました^^;
食事中、フィーバーがあったのかちょっと煩い音楽が聴こえてきます。
天皇がパチンコを好きになるとも思えないので、何とかならんでしょうか!
でも、よく出店許可が出たなぁ~。
天皇陵が登場したのでお勉強です。
食事時間を利用し、簡単に初期の天皇について。
3世紀末ごろから大和地方内外に権力を持つ豪族が現れはじめ、
4世紀それらを統合して大和朝廷が成立した。
その時、崇神天皇が初代の天皇になったと推測されている(直木孝次郎著「日本神話と古代国家」)。
初代天皇は神武天皇とされているが、これがはっきりしない。
第10代の崇神天皇になると民衆に租税を課す、戸籍の整備に着手等、
急に具体的かつ現実的な記録が「日本書紀」に残され始める。
崇神天皇こそが最初の天皇では?とする学者が多い所以です。
崇神天皇~垂仁天皇~景行天皇の頃は、まだ国土平定に東奔西走していた時代です。
大和朝廷が国土を統一する過程での征服戦争の史実を、古代の人々は一人の英雄に託して伝えてきた。
それが景行天皇の第二子、日本武尊で、熊襲征伐や東国平定の物語に登場する。
しかし、国民的ヒーローとされた日本武尊は実在の人物ではなかったとか。
古事記や日本書記では、場面が代わると呼び方が代わったりキャラが変化したりする。
複数の人物を合体させたのではと思わせる。
しかしロマンでもあるので、完全否定はしない方がいいでしょう。
それらの物語では、
策略やだまし討ちによって勝利を収めた戦いが多い。
力でねじ伏せるのではなく、犠牲者を少なく平和的に解決しようとする戦略でしょうか。
これがヤマト朝廷の本質ではないかと言われています。
山の辺の道へ戻るには道標に800mとあるが、来た道を戻らなくても渋谷向山古墳を時計回りにぐるりと進めばOK牧場。
森の様な古墳を眺めながら、右へ回り込みます。
その先、山の辺の道の道標があり、左へ。
崇神天皇陵への道はクネクネ曲がっています。
暫らく何も無いが、道標を見落とさないようにしないと・・。
舗装路の後、細い地道に入って、一気に下る。
小さな川を渡った先に、セルフ100円ショップ。
野菜や果物等が無くなったら、籠を購入して下さいとあります^^)
トイレの前に大和集落についての説明があり、小休止。
その先に小さな高台があるので、上がってみた(13:10)。
双方の天皇陵の位置関係が良く分かる航空写真です。
クリックしてご覧ください。
ガイドでは、この崇神天皇陵(行燈山古墳)の右へ回り込み、
黒塚古墳へ向かう事になっている。
私達は赤点の現在地から、櫛山(くしやま)古墳との間を通り、
行燈山古墳を周り込むようにします。
これがその分岐です。崇神天皇陵とある表示へ行きそうになるが、
長岳寺方面へ向かう方がお勧め。
この池の右あるのが櫛山古墳で、
その説明もありました。
櫛山古墳は全国でも珍しい双方中円古墳です。
つまり両側が四角で真中が円という事です。
古墳時代前期後半のもので4世紀末頃の物と推定される。
周辺にある柳本古墳群の中では新しいものだそうです。
行燈山古墳へ向かう。
上れる様になっていて、
行くとご高齢の方が若いお二人に何やら説明しています。
私達も横で拝聴することにした(ガイド地図にある緑の○印)。
「背後にある龍王山にはかつて堅固で広大な城があった。
比高が高く、大和国随一。城域も広大で、中世城郭の規模が明確でない高取城を除くと大和国最大。山城は北城と南城に分かれ、北城部分だけでも信貴山城に次ぐ大きさ。北城が本城で山頂付近にあった南城は詰めの城と考えられる。
山頂に向かう途中の古墳は数百も散在し、見所となる。
天皇陵には普通どれも周囲に道が付いているが、大抵は宮内庁の管轄で立ち入ることが出来ない。
しかし、ここは一部が入れるようになっていて、今立っている所がそうなる。
天皇に使えていた者たちは、天皇が崩御すると自らの命を絶ってしまう。」
という様なお話しでした。
礼を述べ、ここから降りて、鳥居が崇神天皇陵と示している所へ。
階段上がるが、
ここからは中へも横へも入ることが出来ない(13:31)。
戻ってガイド地図の青○へ向かいます。
それが天理市トレイルセンター・山の辺の道の休憩所で、
建物の前にある幟の辺りで地元の青年に出合います(13:42)。
話しているうちに、先ほどの古墳群の事になり、
この地図を示してくれた。歩いて来た道も大体分る地図です。
急転直下「20分程で行けます。近いので案内しましょう。」
となった。
道を戻り、分かり易い櫛山古墳から上がる事になった。
ガイド地図では青のラインで、この地図では崇神ルート。
向かう途中、なんと、先ほど説明を受けたご高齢の方と鉢合わせ!
少しお話しして、再度お礼を述べ、山へ向かう。
櫛塚古墳の池を過ぎて、山に入る(13:56)。
暫くは林道で、歩きやすい。
地道になった先もなだらかで、スイスイ登れます。
前を行く、若いエキスパートさんです。
彼はアルピニストで、日本アルプスを十数時間かけて縦走するそうです。
氷壁をピッケルで登る写真をスマホから見せてくれました。
こんもりしたものが見えてくると古墳群です。
天蓋が崩れた古墳を見て、
最初の古墳(14:21)。
ここから、誰の物とも分らない古墳が続いています。
次のこれはちょっと小さい。
と言うか崩れかかっている。
見た中では大きい古墳です。
屈んで中に入ってみた。
雨が降った時など、この中に入ってしのぐ事も出来るし、寒い時はバーナーを持って来て暖を取る事もあるとか。
大小あるのは、家人の財力を反映してのもの。
もう少し行くと、一般向けマンションタイプもあると言ってます^^;
学生時代は民俗学を専攻し、日本の古代についても学んだそうで、色々教えてくれました。
いや~、驚きました。
周りにボコボコあるのは、全て古墳です。
生まれて初めてこんなものを見ました。
条件によっては、火の玉が出てくることもあるとか><;
全て盗掘され、恨みと怨念が漂っているのか^^;
数百では収まらず、青年は千を超えると言ってます。
沢山ある理由は、天皇の大きな墓があるので、
その近くに自分の墓を作りたいという想いが強くなり、
邪魔にならない山中にと、なったようです。
「JR道場駅周辺で植物の勉強(2015.09.27・日)」での事です。
三田に近いJR道場駅近くの街中に小さな古墳があります。
「・・この傍に6世紀の物と推定される古墳がある。
立札には中野古墳群と書かれていた。」
ここに立札など立てても良いのではと思いました。
彼は山頂へ向かうので、暫らくお話しした後、礼を言って別れる事にしました。
近いうち、またこの山に入らないといけませんね。
下って、戻って、国道169に出ればいい訳ですが、
もう一度崇神天皇陵の西を通って国道169に出た。
南下して、柳本信号から柳本公園裏の黒塚古墳に向かいます。
で、これがその入り口(15:12)。
黒塚古墳展示館には向かわず、本体へ行きます。
宮内庁管轄では無く、誰でも入れるようになっていて、
公園状態。
お掘りをぐるりと回り、黒塚古墳の石碑がある所に到着(15:16)
碑文には、文政6年(1823年)鬱蒼と茂った黒塚を整地し、頂上に稲荷神の祠とこの碑を並べ立てた。とある。
柳本村民が整地したそうです。
全長約130m、後円部径約72m、後円部高さ約11m、前方部高さ約6mの前方後円墳です。
最初に発掘調査が行われたのは1961年(昭和36年)で、後世に城郭として利用された事が判明した。
3世紀後半から4世紀前半の古墳時代前期前半頃の築造と考えられ、大量の鉄製刀剣や、U字形の鉄製品とともに、三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面が出土したので有名になった。
盗掘されてなかったのは幸いでした。
石室の大きさや副葬品の量から、当時この辺りで権力の中枢か、それに近い地位にいた者が埋葬されたと考えられている。
現存しているこの池は周濠だったようです。
上ると、平らに整地され、説明版などがあった。
木々の間から見える山は龍王山の一部みたいです。
約2キロ南には卑弥呼の墓と目される箸墓(はしはか)古墳があるが、行かなかった。
ここから、柳本駅は直ぐで、元へ戻ってそのまま行けばよい。
しかし、駅前には何にも無かった^^;(15:30)。
駅での待ち時間もあったが、電車を乗り継ぎ、自宅に辿り着いたのは7時前。
「やまとは まほろば」でしたが、遠かった。
何時か龍王山に登り「山の辺の道」のその後、
天理までをお伝え出来ればと思っています。
長文を最後までご覧頂き、ありがとうございました

この記事へのコメント
トトパパ
6時間半もかかるんですね。
でもゆったりと散策出来て楽しそうですね。
相撲神社、行った事あります。
この像の写真も撮ったことあります。
田舎道が続いてココロが和みますね。
私も行きたくなりました。
アルクノ
6時間半と言っても、休憩や食事に立ち止まった時間を含んでなので、歩いたのは4時間チョイだと思います。
仰るように、ゆったり歩く散歩という感じです。
相撲神社に行った事がありますか。
柏戸や大鵬もここへ来たことがあるようで、地元では有名みたいですね。
アップダウンが少ないので、楽しく歩ける所です。
機会があれば、また是非お立ち寄りください。
藍上雄
『神籬』この辺一帯は神聖な場所なのでしょうね。ちょっとしたパワースポットの様な気がします。
アルクノ
この辺りは大和最大のパワースポットと言えます。
なので、老若男女にとって憧れの地域なのでしょうね。
私も相撲神社を筆頭に知らない所だらけで、巡り乍ら、フムフムでした。
山中の古墳群には驚きました。
人が入れるものは、沢山あるそうです。
盗掘は残念な事です。
保存していないので、というか多過ぎて、昔からほったらかしだったのかでしょうか。
時間の都合で詳しく見ていませんが、また近いうちに訪問しなければと思いました。
『神籬』はちらっと見ただけですが、詳細に見ていきたい場所だと思いました。
とわ
歴史はまったくわかりませんが、
前に吉永小百合さん(卑弥呼役)で
邪馬台国を探す映画をテレビで観ました。
古墳時代に夢を馳せて歩くのもいいですね。
そんな仲間がいるアルクノさんも羨ましい(^-^)
人が生活出来るくらいの古墳、
そんな古墳も残ってるなんてすごいですね~!
アルクノ
私も在職中は歴史に興味が無く、退職後、地元を歩きながらボランティアの方に色々教えて頂いて興味を持つようになりました。
この大和の地域は日本のルーツで歴史の本丸ですから、ちょっと気合い入れて勉強しました
邪馬台国を探す映画は見逃しましたが、何時か見てみたいです。
天皇のお墓の大きさが300mですから驚きますね。
龍王山の人が自由に入れる古墳にも驚きますが、また何れ、友人とこれを探索したいと思っています。
乞うご期待デス^^)
てくてく
景行陵も崇神陵も、大きくて立派ですねぇ。
大兵主神社、奥まった所で、静かで趣がありますね。屋根、大社造りの様な・・・出雲に関係あるんですか???
もっと、訪れる人があってもいいと思うんですが・・・
神籬も行かれてますね。
古墳群にも行かれましたか。確か、竜王山から下った時に、見学した記憶があります。一人でしたが、チョコット、背筋がゾクゾとしたような・・・
黒塚古墳、小振りですが、綺麗に整備してありますね。
確か、展示館の方からも上に登れたと思いましたが・・・
箸墓古墳、チョット遠いで、又、ですね。
長距離の、「やまとまほろば」歴史ハイク、お疲れ様でした。
てくてく
アルクノ
前半と後半で、がらりと雰囲気が変わるのが面白いと思いました。
後半はお墓だらけです^^)
大兵主神社、この地域では知られているみたいですが、寂しい感じがします。
調べると、
「崇神60年云々は後世つくられた伝承であって、ヤマトヒメ命はアマテラスの伊勢遷座には関係するものの兵主神には関係しない(また崇神紀60年には神祀りに関する記事はない)。何らかの伝承があったのかもしれないが、崇神紀7年条に、“(アマテラス・ヤマトオオクニタマの祭祀とは)別に八十万の群神を祀った。よって天つ社・国つ社・神地(カムトコロ)・神戸(カンベ)をきめた。ここで疫病が収まり、云々”とあることから、当社もその中に含まれるとして崇神朝まで溯らせたのかもしれない。」
とありました。
八十万の群神で関係がありますね。
神籬は予定していませんでしたが、近くなので立ち寄りました。
龍王山から古墳群へ一人で立ち寄りましたか^^;
ゾクゾクだけで済んで良かったです^^)
黒塚古墳の展示館へ立ち寄れば良かったですが、次回ここに向かってから龍王山に登るようにしようと思っています。
その時、箸墓古墳にも立ち寄るとなると、巻向駅スタートになりますね~
今回歴史にドップリ浸かった歩きに堪能しました。
なおさん
写真や記録をとりながら歩くのも大変なことでしょうが、それをまた記録に残すというのもタイヘンですよね。くわしい記事でこれから歩こうというひとには参考になり、良いですね。
yoppy702
数百でなく、千超!\(◎o◎)/
これって…どこかに、所在案内図なんてあるんでしょうね。
それを見ると、きっと、密集度がスゴクて、古墳密集地全国№1で、きっと、古墳地価も全国一位でしょうね。(^^ゞ
先日、生駒山で見た古墳は、山の奥深く…ちょっと奥深くで不気味な感じもありましたが、この辺りは日当たりも良くて環境が良さそうです。
それでも、火の玉が出る事もあるんですか!\(◎o◎)/
やっぱり、あの時、中に入らなくて良かった。(^^ゞ
「第10代の崇神天皇が初代ではないか?」という話は耳にした(目にした?(^^ゞ)事があります。
でも、エエ加減なもので、日本武尊は遥かそれ以前の方やと思い込んでました。
伊吹山の神様と戦われたという事で勝手に、そう思ってたんです。
なのに、第12代景行天皇の子供さんなんですね。
改めて宮内庁のHPをチェックしてみました。(^^ゞ
すると、神武天皇から始まってるのは解りますが、日本武尊も載ってました。
13代の成務天皇は日本武尊の兄弟で、14代の仲哀天皇は、日本武尊の直系!
エッと思い、仲哀天皇をチェックすると「父親・日本武尊」ってなってました。(^^ゞ
仲哀天皇といえば、先日の気比神社で書いたので、ますます\(◎o◎)/。
ちょっとした事でも、この道を歩くのには、とってもロマンがあって楽しそうです。(^^ゞ
可愛い陶芸作品もセルフショップなんですか?
ちょっと、お高そうなので、セルフではなさそうですね。
奈良なので、赤膚焼ですか?(^^ゞ
『「山の辺の道」のその後』、もう、新しい企画が出来上がったんですね!
歴史の紹介も得意とされているアルクノさんですので、きっと、楽しい日本史も期待できそうです。(^^)
アルクノ
歴史街道と幟が立っているだけの事はあると思いました。
古社に、古墳に、遺跡にと、歴史のあるものだらけです^^)
周囲には青垣が取り巻き、何処を歩いていても見えるのがいいです。
花の写真も他に撮りましたが、歴史がメインなので割愛しました。
お花が好きな方も歩いて欲しい所です。
そうですね、興味がある歴史を色々書きましたが、ここを歩かれる方の参考になれば嬉しいです。
今回、龍王山の古墳群がまた来て欲しいと言ってるので
この続きがあるかも知れません。
eko
流石は奈良県、御陵に古墳がこんなに沢山あるとは、凄いとしか言いようがありません。詳しく説明してもらってなるほどと納得しましたが、すぐ忘れてしまいそうです。
畦道のような長閑な道、景色を見ながら太古の昔に思いをはせるのも良いものですね。
余談ですが、滋賀県の近江八幡市に近代相撲の発祥の地として駅前に土俵が造られています。
アルクノ
龍王山の古墳群は凄いです。
公園の砂場一杯に盛り上げたものがボコボコある感じです。
保存も何もしていたいので、凹んだり崩れたりしていますが、ワンルームマンションとして使えそうなのもあります。
登り口から20分チョイですから、
アクセスも良く、通勤にも使えそうです^^)
火の玉は、節電と読書にいいかも^^)
「古墳に住む」なんて不動産の宣伝が出てきたりすると驚きますが。
私も、日本武尊がどの位置にいるのかよく分かりませんでしたが、初代天皇の孫の子と理解しました。
4世紀ですから、そんなに古い話では無いですね。
戦いに明け暮れて死んでしまった日本武尊は、第14代・仲哀天皇の御父とあります。
これも日本武尊は一人では無い事の表れでしょうか。
「大和の勇猛な武将」をそのまま人の名前に、とも言えます。
その時代の名前にしては、あまりに象徴的でイメージ宣伝みたいですね。
仲哀天皇も九州征伐に出かけて、福岡県の香椎宮(かしいぐう)の地で急逝したとあります。
日本武尊の格を上げるために、天皇の父にした気もします。
可愛い陶芸作品もセルフショップみたいでした。
お雛さんは1200円なので大胆です。
何焼きとも書いてませんでしたが、釉が無い下地に後で色付けしているみたいです。
この後のコースも、計画しようと思っています。
独断と偏見と新しい視点で紹介していきたいです
アルクノ
貴重なものを沢山拝見したので、写真も撮って色々調べてみました。
私も全て覚えられないので、時々読み返していきたいです。
これを読んで、行きたいと言う方が出てくれると嬉しいですね。
歩いた所にはビルというものが無いので、タイムスリップしたような気にさせてくれます。
天皇陵前にあるパチンコ屋にはガッカリでしたが、またこの続きを歩いてみたいと思っています。
相撲やぐらがある所ですね。
「安土は近代相撲発祥の地だそうです。
織田信長も相撲を愛好したとか。
この相撲やぐらは その伝統を受け継ぐために建てられたそうです。
安土駅前、織田信長の銅像と反対側、安土町城郭資料館の側にあります。」
とありました。
琵琶湖一周した時に立ち寄れば良かったです。
はるる
ずいぶん大昔からやっていたんですね。
古墳、こういうところ興味あります。
自由に入って雨露をしのいでもいいのですか。
セルフショップ、かごまで売っているんですね。
何か買ってきたのですか。
アルクノ
私も、分岐で相撲神社がある事を知りました
持って行ったガイドブックのコピーには食べることが半分で、私たちが知りたい情報が少なかったです。
相撲がそんなに古くからあったことに驚きます。
ここには大鵬や柏戸も力士の時にお参りに来たそうです。
古墳の多さにも驚きましたが、少し見ただけですので、何れまた紹介したいと思っています。
背中のザックには前半の最初に購入した日本酒が入っていたので、何も買わずじまいでした^^)
でも、品物を載せている籠まで売っていたのには驚きました。
今回の歴史ウォーキングは驚くことだらけでした
すーちん
古墳の数凄いですね
大切な物入れて有ったで
しょうから殆んど盗堀されたで
しょうね
アルクノ
この後半は古墳だらけでした^^)
龍王山にある当時の一般人が作った古墳は、全て空っぽの空き室になっています。
刀とか宝物とか入れていたと思いますけどね。
何処へ行ったんでしょうか。
またここへ登ってみたいと思います。
トンキチ
山の辺の道の前・後編、さすがに読みごたえがありました。非常によかったです!
これを読んで、いよいよ私もここに行きたい、歩きたい感を強めました。
尋常ではない古墳の数々、まさに日本史の宝庫ですね。
逆に、ここを歩いて迂闊なレポも書けないというプレッシャーも生じます。
でも、歩くことに意義があるので、レポがどうのこうのとは二の次の話です。
歴史に造詣がなく、行ったことがないだけに、すべてが物珍しく映ります。
アルクノさんのように、アカデミックな文章は到底出て来ません。
まぁ、人それぞれスタイルが違いますので、仕方ないところです。
6時間半の行程とはとても思えない濃密なハイキングで、見所満載でした。
地元のアルピニストの青年との出会いなど物語的な要素もあり、歴史ロマンと相俟って素敵なブログになっています。
アルクノ
楽しく読んで頂けたようで、時間をかけた事が報われます。
日本の歴史の本丸に入ったので、
私も迂闊な事が書けない!
と思って調べまくりました。
知っている事はほんの僅かです^^;
好きな事なので、更に知りたいと思いました。
最大の驚きは龍王山の古墳群で、また登ってその状態をレポしたいと思います。
ここを歩いてどう見るかは、人其々です。
自由にレポしてみて下さいね。
アカデミックだなんて言われると恐縮します。
齧った事を、分かり易くしてみました。
これで日本武尊への評価は?になりましたが、当時の代表選手達に日本の歴史物語を被せたのかも知れません。
物知りでご高齢の方は、歴史を語るボランティアの方かと思いました。
でも、訪ねるとそうではありませんでした。
アルピニストの青年に出会ったのも、偶然のようですが、その直後なので必然の様な気もします。
もしかして、
古墳群が私達を呼び寄せたのかも知れない、
と思ってしまいます。
みっちゃん
相撲発祥の地、知らなくて驚きました!
古墳群も立派で歴史を感じますね。
陶芸作品は素朴でどれも可愛いです!
古墳は広島県三次市と宮崎県西都原(さいとばる)古墳に昔行ったことがあります。
アルクノ
前編も見て頂きありがとうございます。
私のガイドブックには相撲神社が載っていなかったので、道標を見て驚き、急遽行く事になりました。
歴史物語が始まったような所ですので、色んなものがあります。
天皇陵に龍王山の古墳群など沢山あるので、又訪れたいと思いました。
陶芸にも興味があるので、撮ってみましたが可愛いですね。
神戸には、自慢できるような古墳が無いので、他府県の古墳のある町が羨ましいです。
広島と宮崎の古墳情報、ありがとうございます。
機会があれば、それらにも行きたいと思っています。
行き当たりばったり
でも、行ってみたい--
アルクノ
この山の辺の道は日本人のルーツなので、何時か行きたいと思っていましたが、やっと歩くことができました。
私としても、調べないと気が済まないので、気合い入れました
実際は天理まで続いているので、これが前半なんですけどね。
「もう行かなくてもいいかも」などと仰らず、是非、歩いて頂きたい道です