ピークは1125m(葛木岳)で葛木神社の裏にあるが神域となって立ち入ることがでず、国見城跡広場が山頂扱いされている。
一等三角点がある湧出岳(1112m)が直ぐ近くで、大阪府の最高地点(1053m)はこの山のちはや園地にある(ウィキペディアから簡略)。
コースは↓
近鉄・富田林駅=金剛バス=金剛山登山口バス停(標高525m)~千早城跡~(千早本道)~国見城跡(標高約1088m)~転法輪寺~葛木神社~仁王杉(樹齢500年)~ダイヤモンドトレイル出合い~湧出岳(ゆうしゅつだけ)~展望台~(ダイヤモンドトレイル)~ちはや園地~伏見峠~(林道伏見峠線)~千早ロープウェイ前バス停(標高634m)=金剛バス=富田林駅
金剛山登山口バス停と国見城跡との標高差は560m程。
ロープウェイ前バス停は登山口バス停より約百m高い位置にあります。
ロープウェイ前から登る方が楽なようだが、そうとも言えない。
土曜日だったが、千早本道はここを往復する人が多く、賑わっています。
道の状況を下ってくる人に聞けるので初めての方にお勧めですが、
階段だらけでシンドイ^^)
ただ休憩ポイントが沢山あるので、時間をかけて登ることが可能。
林道伏見峠線は歩いている人が少なく、下り始めはかなりの急坂で、コンクリート製滑り台状態です^^;
斜面が続く道で、休憩ポイントと言える場所が少ない。
この急坂を登るとかなりハードになります。
この林道伏見峠線が10~20cmの積雪でアイゼン装着だと、雪を階段状に踏み固められて、登り易いかも知れない。
当日の雪とアイゼン↓
千早本道8合目から先、アイスバーン状態でアイゼンを装着。
国見城跡周辺に数センチの積雪ポイントがあった。
転法輪寺~葛木神社周辺はアイスバーンでアイゼンが無いと危険。
ダイヤモンドトレイルにある展望台から雪が無く、アイゼンを外した。
林道伏見峠線の一部凍結は、避けて通れる状態でした。
万歩計は1万6千で、距離は10キロ弱。
休憩と食事時間を省くと、歩行約3時間です。
国見城跡までの道のりは、
新神戸駅→摩耶山・掬星台(690m)を思うと、時間も疲労度も約半分です。
冬になると、雪が積もる金剛山と聞いているので、2月にしました。
当初13日だったが雨で中止、予備日の27日に登る事になった。
26日がここ数日の寒さのピークで、27日は緩んで日中晴れ~午後に小雨の予報でした。
26日の金剛山・山頂ライブカメラに雪が無かったが、
一部アイゼンが必要とあるので、多少の期待を持って行くことに。
メンバーは3名。
六子さんは初体験で、
アルクノは昔、職場の仲間と、違うルートで一度経験があるが覚えていない。
頼みの綱はSugarさんで、数年前に駐車場に車を止めて友人と登ったと言う。
神戸からだと、行くだけでも大変になる電車の乗り換え。
阪急梅田で下車し、地下鉄御堂筋線・梅田駅から天王寺へ。
天王寺にある近鉄・阿部野橋駅から富田林に向かう。
富田林駅から金剛バスに乗車し、30分程揺られて~やっと登山口です。
電車の時刻を指定していたので、地下鉄で六子さんと、阿部野橋駅でSugarさんと出会いました。
地下鉄梅田駅からちょっと離れて西梅田駅がある。
東梅田駅も近くにあり、そこから谷町線で天王寺へ行く事が出来ます。
地中の駅では東西南北に地下鉄が走っており、
下調べもせずに乗り込むと、とんでもない所へ連れて行かれる^^;
阿部野橋駅からは、桜で有名な吉野への吉野行があるので要注意。
急行で古市乗り換えか、河内長野行に乗車する事になります。
古市から2駅で富田林駅です。
過去最大クラスの、長い前置きは以上です^^;
富田林駅で下車し、改札出て右方向が2番乗り場で、
金剛バスが止まっていた(9:18)。
バスは1時間に2本みたいで、9:35発だった。
街中を暫らく走った後、ワインディングロードを登って、
標高五百mを超える所へ向かう。
土曜日だと言うのにバスはガラ空き。
私達3名ともう一人が金剛山登山口で下車(540円)。
残り若干名は3キロ先の千早ロープウェイ前(590円)へ向かいます。
バスの進行方向にトイレがあり、
頭上には千早城址と書かれた道標で、とても分かり易い。
後ろにある駐車場は、ほぼ満パイ。
車が多い理由は↓
(バス+電車の往復料金)×4名で計算すると納得!
「国史跡 千早城跡」の地図があるので、これを眺めます。
目を惹くのは、四の丸まで300mだが30分とある。
金剛山頂までの2500mは90分です。
この短い距離に三分の一の時間?
この階段がそれを暗示しています(10:11)。
(オリジナルサイズ)
説明板や標識に陣笠の兵まで立っているので、
道路向うから撮影したが、この斜度に驚く。
史跡千早城址の説明文によると、
城と府道の標高差は150mで、南、北、西(現在地)は急斜面になっている。
東方面だけが尾根伝いで金剛山と繋がっており、天然の要塞と言えます。
鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した楠木正成の城で、元弘2年(1332年)に構築したとあります。
四の丸まで急坂の五百数十段が続くそうです。
これは連郭式山城で楠木七城の一つだったとか。
焦らずゆっくり上ると、鳥居です。
ここはなだらかで、直ぐ先が急階段。
石碑の所で小休止。
更に数分で千早城址の文字があり、これが四の丸。
休憩入れて18分^^;(10:29)。
休憩不要だと15分以下でしょう。
たばこと書かれた千早城址茶店は店仕舞いでしょうか。
ここに当時の作戦を模した兵がいます。
「藁人形作戦」と言えるものです↓
「楠木正成は策をめぐらし、わら人形を20-30体作らせ、甲冑を着せ弓や槍を持たせた。その人形を夜のうちに城外の麓に並べ、後ろに兵500を潜ませ、夜明けになると鬨の声をあげさせた。鎌倉幕府軍は決死の攻撃と思いこみ攻め寄せた為、兵500は矢を放ちながら徐々に城内に引き上げた。鎌倉幕府軍がわら人形に到達した所を見計らい、大量の大石を投げ落とし、300名が即死、500名が負傷した。」
(ウィキペディア引用)
他には「油入り水鉄砲+松明投げ入れ作戦」^^)
とかで、多くの敵兵士を退けました。
策略家でユニークな楠木正成さんだったようです。
「楠木正成物語 ゲリラ戦術とは!」
で検索するとその作戦の詳細が出てきます。
「戦いになれば籠城してゲリラ戦に持ち込み、戦況が不利になればすぐ放棄するというように、城というより要塞として利用した。」ともある。
しかし、これらは勝利を収める戦いというより、敵に深いダメージを与え、戦う事をあきらめさせるテクニックの様な気がする。
糞尿を浴びせて撃退、もあったそうで、褒められる戦法とは言えない^^;
もう一体のブリキ兵に挨拶して、鳥居を潜る。
この階段上がると、三の丸、二の丸と続きます。
二の丸跡に千早城址の石碑がある。
国史跡なので、立派!
更に階段上がると手水舎で、本丸跡に千早神社があります。
千早城は標高673mとされているので、ここがそうなると思います。
元は八幡菩薩を祀って千早城の鎮守としていたが、楠木正成他を合祀して楠社とした。
明治7年に再建し、同12年には祠も建て、千早神社としたそうです。
本丸跡の表示を見て下る。
コンクリート製のがっしりした休憩所があり、
更に下ると、千早城跡を通らない登山道と合流する(10:49)。
若いお父さんが兄妹の小学生を従えて上って来た。
実は、登山口バス停を少し戻ると登り口があるので、
そこからやって来たのだと思う。
四の丸の先、左へ下る分岐があるが、その道とも合流するらしい。
小休止して、
その先に「楠木正儀の墓」と書かれた五輪塔がある(10:53)
正儀(まさのり)は楠木正成の三男です。
鉄格子の囲いがあり、ややズームして撮影。
最初の「国史跡 千早城跡」の地図には千早城跡五輪塔とある。
これを「楠木正成の塔」とする古絵図が存在しているとか。
地元では「首塚さん」と呼んでいるそうです。
江戸時代、千早城跡五輪塔は楠木正成か楠木一族を供養するために建立されたと考えられていたのが、ある時点で正儀の塔に変化したとある。
もう一度この五輪塔を見ると、
囲いに菊水の家紋があります。
楠木正成以前の系図は諸家で一致せず、確実なのは、河内の悪党の棟梁格だったとか。
何故、皇室の流れを示す菊なのか↓
鎌倉幕府は、
後醍醐天皇による反幕府の動きを察し、京都に大群を送り込みました。
天皇は、元弘元年(1,331年)大和国の笠置寺(かさぎじ)に逃れ、この時天皇のお召しによって馳せ参じたのが楠木正成です。
正成は天皇のために挙兵することを約束し、本拠の河内国に戻る。
そこで、天皇は皇室の御紋章である菊紋を与えたと言う次第です。
以前にも述べた事ですが↓
JR神戸駅の北に楠木正成を祀る湊川神社があり、その背後には菊水山があります。
楠木正成公六百年祭の時、大角木山(おおつぬぎやま)と呼ばれていた山に菊水の形に松の木を植えて以来、菊水山と呼ばれるようになりました。
身分は低いままで出世せず、捨て駒として利用されて死んでいった、
哀れな楠木正成です。
しかし筋を曲げず、終生天皇家に仕えた事で、
明治政府に持ち上げられ、正成の死後、遺志を継いで戦った息子正行(まさつら)と共に湊川神社に祀られた。
湊川神社は、初代兵庫県知事の伊藤博文が創建に尽力し、明治5年(1,872年)に建てられました。
境内には水戸光圀公の直筆を石に彫って墓碑にした「嗚呼忠臣楠子之墓」があり、
本殿西側奥の自害の場にある墓碑とともに国の重要文化財史跡に指定されています。
皇居外苑には馬に乗る楠木正成像があり、
神戸市兵庫区の区役所前にも同じような楠木正成像があります。
明治から昭和初期にかけて国に利用され、大出世を成し遂げた、
楠木正成公と言えます。
ここから、この様な階段が延々と続く。
五合目で休憩です(11:20)
前にある小屋を二つ並べたようなものは、バイオトイレです。
左に東屋があり、下で出会った親子3名も休憩していた。
右には縮小タイプのウルトラマンとバルタン星人が居ます。
「金剛山本道中間点
人生も山も苦しみも喜びも
あと半分会
会長 ウルトラマン
副会長 バルタン星人」
六合目の先、なだらかな左を行きます。
暫くして、大楠公六百年記念と彫られた、楠公史跡(11:47)。
大楠公(だいなんこう)とは楠木正成の事で、
長男の正行は小楠公と呼ばれる。
前述の湊川神社は、地元で「なんこうさん」の愛称で親しまれています。
「河南八勝第五蹟金剛山」とあるが、「河南八勝第四蹟千早城址」は登り口の階段を写した写真をクリックするとその所在が分かります。
それ以外の楠公史跡河南八勝は↓
第一蹟 天野山金剛寺
第二蹟 楠妣庵観音寺
第三蹟 檜尾山観心寺
第六蹟 建水分神社 (たけみくまりじんじゃ)
第七蹟 楠公誕生地
第八蹟 紫雲山葛井寺(ふじいでら)
となっていた。
この楠公史跡河南八勝は、
戦前、楠木正成公にゆかりの深い寺などが話し合ってこのような形になったそうです。
八蹟の紫雲山葛井寺は正成が陣を構え、合戦があった場所だとか。
葛井寺は西国三十三所の第五番札所として有名ですね。
私もお参りしたことがあります。
八合目を過ぎると、アイスバーン状態なので、
ここで立ち止まり、アイゼンを装着。
九合目分岐で「楽な道」の表示を行くと、
地蔵に添えられた言葉が目を惹く(12:06)。
「極楽は西にあらず
東にもあらず
吾が来た(北)道の
みな身(南)にぞある」
道中、様々なお地蔵さんに含蓄のある言葉が添えられています。
フムフムと頷いて、足を休めるのもいいですね。
そこから直ぐ、この説明板と史跡金剛山と彫られた石碑。
オリジナルで、クリックすると読めると思います。
左へ上ると国見城跡直下の広場です(12:11)。
右上が国見城跡ですが、赤↓のベンチで食事にします。
ヒューヒュー音はするが、樹木と背後が壁となって風が当たらず、陽射があってとても暖かい。
更に暖かくなる、担々麺を頂いた(12:22~)。
国見城跡はドロンコです。
海抜1125mとあるが、正しくは1088m。
ここで景色を撮影中の方に集合写真を撮って頂く。
寒暖計は+6℃を示し、春霞で何も見えない。
日影は薄い雪原で、雪合戦に興じる子供達が居た。
そこから細い山道に入り、
下ると屋根が見えてくる。
転法輪寺です(12:52)。
階段下ると大日大聖不動明王が立っていた。
境内を出ると、真言宗醍醐派葛木修験道大本山と大きな表示。
毎年5月上旬に満開になるという、樹齢300年以上の枝垂桜を眺めた。
葛木神社の道標があったので其方へ向かいます。
アイゼンが無いと滑るでしょうね。
短い距離で葛木神社に到着(13:02)。
天智天皇4年(665年)、修験道の開祖とされる役小角が16才のおり、この山に登り、霊気を感得し長い修行の後、頂上に法起菩薩を御本尊とする金剛山転法輪寺を建立した。
役小角の祖神であった一言主神を祀る葛木神社を鎮守としてあわせ祀ったのが始まりとされる。
以後、真言密教の霊場として信仰を集めた。
転法輪寺の山号である「金剛山」が略称のように使われ、この山系の最高峰を指す名称になったとか。
「最高峰へは神域の為立ち入り禁止」の表示を眺め、
湧出岳に向かって、一旦下る(13:07)。
2分で、樹齢約500年とある仁王杉です。
暫らく雪道で、やがてアイスバーンの下りになる。
氷が少なくなってソロソロの私達を、登りで出会った3人の親子が追い抜いて行きます。
アイゼン無しで、腰を落としてのスライド走法です。
わざと滑る所を選んでいるのが凄い!
お父さんの方がへっぴり腰^^)
前方に見えるのは一ノ鳥居で、ダイヤモンドトレイルに出合う。
そのまま直進すると湧出岳への登り口が左に。
登り口には「第21経塚・一等三角点」とある。
薄い雪を3分登ると、展望塔が見えてきた(13:20)。
この左に第21経塚があり、右に電波塔です。
電波塔の右に湧出岳の一等三角点(1112m)。
点名は金剛山です。
伏見峠へ向かう場合、元へ戻ると遠回りになるので、電波塔の左脇を下る。
これが道?と思えるような筋が続いています。
段差が大きいポイントもあり、ゆっくり下る。
8分でアイスバーンの広い道です。
その入り口には「健脚向き 湧出岳一等三角点へ10分」
とやや大げさ(13:33)。
大きな金剛山展望台の先、雪が無くアイゼンを外す。
ロープウェイで上って来たのか、アイゼン装着の女性がいた。
聞くと「この先あると思って」、だったのでその状況を伝えました。
ちはや園地の大屋根広場の下にトイレがあるので拝借(赤→)。
アイゼンの泥を小枝で落とし、袋に収納してザックへ。
伏見峠から(14:00)下りはじめの氷はすぐ消え、
急坂コンクリートを下る。
見所が2か所あります。
半分以上下った所にある滝(14:24)。
氷点下になると氷瀑が見られかもしれない。
あと一つは、
大阪府指定の天然記念物になっている「千早のトチノキ」(14:34)。
樹齢約300年、幹回り4.3mで樹高約25mとあります。
下山し終え、そこにあった寒暖計は5.5℃を示していた(14:42)。
山頂と登山口の温度が逆転する金剛山!^^)
舗装路の向うがバス停で、富田林にむかうバスが止まっており、乗車します。
時間があればトイレの外の蛇口にホースの付いた水道で、靴とアイゼンが洗えます。
阿部野橋で下車して、あべのハルカスを見上げ、
馳走ビル3階にある「鶴橋 風月」に向かう。
ビールセットの、
イカ2名、ソーセージ1名を注文し、分け分けして頂く(16:42)。

雪はあまり無かったけど、
ラクチン登山で、
歴史の勉強もできる楽しい金剛山デシタ。
長文記事を最後までご覧頂き、ありがとうございました

この記事へのコメント
はるる
いろいろお調べになったのですね。
最後の写真でほっとしました。
みっちゃん
拝見していますと雪道は滑りそうですがラクチン登山で良かったですね。
途中にお寺、神社、滝などあって、帰りはイカ焼きなどでビールを飲まれて楽しそうです!
narayama2008
金剛山登山、お疲れ様でした
神戸方面からですと富田林まで出るのも結構時間かかりますよね。阪神なんば線で近鉄と直通したと言っても、近鉄南大阪線は全然関係ないですし・・・(^^;)
金剛山って楠木正成公ゆかりの山だという事を改めて認識いたしました。
ウルトラマンとバルタン星人もちょっとした遊び心を感じます(^^)
トトパパ
金剛山ですか~。
昔、一度だけ行った事があります。
歩きではないですが。。。
この暖冬でも、山の上は雪があるんですね。
普通ならこの時期、もっと積もってるんでしょうかね。
大阪府民がよく雪遊びに行きますもんね。
今年はやっぱり少ないんでしょうか。
winga
いつもながら凄い所を歩かれる。
私には歩けない道ばかり。
でも神社仏閣や城跡に興味津々。
頷きながら拝見しております。
勉強になります!!
すーちん
階段が多いですね~
かえって疲れるのでは
アイスバン、怖そうですね
アルクノ
早速のコメント、ありがとうございます。
階段だらけは覚悟していましたが、このルートは初めてでした。
四ノ丸までは急階段で、後はなだらかな方を選んで登りました。
ウルトラマンはユーモアですね。
シュワッチ、で登れるといいんですけど^^)
地蔵さんに添えられる言葉に頷き、フムフムで休憩してます^^)
下りは雪が無かったけど、滝とトチノキで癒されました。
いろいろ調べるのに4日もかかりました^^;
最後にホッとして頂き、疲れが取れたでしょうか。
長文に目を通して頂き、ありがとうございました
アルクノ
滑りそうな所はアイゼンで大丈夫デシタ
15キロ位歩く事が多いので、やや楽な部類に入りますね。
登った後は平坦な道で、後は下るだけという感じです。
神社仏閣が多いので、登山者も多いのでしょうか。
手軽な雪山として親しまれていますが、
その雪が少ないのが残念でした。
でも、面白いコースでした。
この風月のビールセットは、京都・山科で経験済みでして、何時か本場の大阪を、と狙っていました
アルクノ
近鉄阿部野橋までの乗り換えに苦労しました。
路線が違う3名との合流地点をどうするかで気を使います。
なんば線の利用はたまにありますが、近鉄南大阪線を使う事がまず無いですね。
楠木正成公は地元の湊川神社で知っていましたが、今回調べてみて、金剛山との繋がりがより深い事を知りました。
ウルトラマンとバルタン星人が「あと半分会」を結成していたんですね。
仲良くして欲しいです^^)
アルクノ
ロープウェイで上がられたんでしょうか。
この雪だと少ない、と言うよりほぼ無い状態だと思います。
昔登ったルートは覚えていませんが、かなりの雪で苦労しました。
国見城跡広場は、通常は雪合戦の名所^^だと思います。
西日本、特に太平洋側は記録的に少ない雪で、
困ったさんデス^^;
アルクノ
昔は、この様な凍った道を歩くなんて考えもしませんでした。
地元六甲をアイゼンで歩いてから病みつきになり、この様に遠征しています
中学生の頃は、歴史が大嫌いでしたが、ウォーキングで歴史の勉強をする事になり、それ以来これも病みつきになっています。
私も色々調べて、勉強になりました
アルクノ
急階段はホント疲れます。
四ノ丸以降はなだらかで、癒してくれる品々があり、休憩しながらのんびり登れました。
アイスバーンは氷なので、アイゼンが無いと登りでも滑ります。
これを付けたり外したりを繰り返す場合は大変ですが、
今回は装着と外すポイントがハッキリしていて助かりました。
トンキチ
金剛山、お疲れさまでした。
神戸から登山口に至るまでの道中が長く、乗り換えなんかが煩雑で、山歩きよりエネルギーを費やしたのではありませんか。
金剛山は2000年(平成12年)9月に単独で登ったのが最初です。
南海電車で河内長野へ、そして南海バスで登山口に行きました。
その後、もう一度グループで登ったと思うのですが、この記憶も曖昧になっていますし、先の単独登山の時も殆ど状況を覚えていません。
当時まだブログを始めておらず、写真も殆ど撮っていない時分でした。
ですので、悲しいかな、記憶の風化が進んでいます。
階段状の登山道が連続する千早本道を登ったのは覚えていますが、アルクノさんのブログを見ても千早城址や千早神社など覚えておらず、記憶のはかなさに茫然自失してしまいます。
これはまた近々金剛山に行っておさらいをしておかなければならないなと痛感しました。
楠木正成など歴史にまつわる話は面白く、こういう勉強もしたいと思いました。
8合目からはアイスバーン状態で、安全のためアイゼンをつける必要がありましたね。
1、2月はこの山にアイゼンを持参していないと、ひどいことになりますね。
金剛山頂の標識が写っていますが、この標識は強く印象に残っていますので、どこかにプリント写真が残っているかも知れません。
暇を見つけて、探してみることにいたしましょう。
写真整理も、身辺整理もしなければなりません。
最近、身の回りが雑然とし過ぎていますので。
金剛山の頂上で、誰が何百回、何千回登ったというような記録が掲出されていたような気がします。
毎日登山の記録だったように思います。
湧出岳の一等三角点の記憶はありません。
こんな調子ですから、やはりブログを書き留めることは意義がありますね。
人の記憶はホントにはかないです。
アルクノ
私も同じで、ブログを開設して以降は事細かに書き残していますが、それ以前の事は、すっかり、綺麗に消えてしまっています。
あべのハルカスは、
神戸の山上からその姿を何度も見ていますが
その下にある近鉄阿部野橋駅から乗車するのは初めてでした。
メンバーも迷わず来れるのか、も含め、合流できるまで不安でしたね。
>千早城址や千早神社を覚えていない。
という事は、小学生を含む3人家族が登った登山口から入ったのでは?と思います。
この急階段を登れば一生忘れない^^)
でも、トンキチさんの経験を考えるとチョチョイで登れる山だと思います。
ただ豪雪の場合は危険で、適当な積雪がいいですね。
楠木正成公については、神戸では「なんこうさん」と親しまれているので、時間を費やして調べました。
山頂からの眺望が全くダメで、写真点数を減らし、文章の方に力入れました。
1~2月この山にアイゼン無しで行くと途中から下山、という事になってしまいます。
写真で紹介した、氷上スライディング走法を習得した小学生だけは例外ですが。
国見城跡広場の写真は皆さん撮っていると思います。
探して出てくるといいですね。
私も整理整頓は苦手で、
机の上は企業からの未開封の封書など山済みです^^;
>金剛山の頂上で、誰が何百回、何千回登ったというような記録。
たしか、yoppyさんの記事で見たような^^)
今回素通りしたのか、注意力散漫でした。
湧出岳はルートから少し離れているので、「登るぞ~」の意気込みが無いと見過ごすと思います。
私達はSugarさんの記憶を頼りに登りました
またのChallengeを期待します
yoppy702
でも、降った雪が完全に融けない所は、ガチガチになっているから、かえってイヤですね。(^^ゞ
ボクは、いつも、歩くだけなので、こんな風に歴史を顧みた事がないので、とっても勉強になりました。
千早道は、最近では下山で使った事はありますが、千早城址から本道で登ったのは随分昔です。
なんせ、よく混むので。(^^ゞ
殆どの方は、本道で登り、伏見林道で下りられるので、ボクはその逆。
それも、登りは久留野峠からダイトレですから、土・日・祝でもメッチャ空いてます。
なんせ、混む所が好きじゃないので。(^^ゞ
写真を見てると、ホンマ、雪が無いですね。
楠公史跡を過ぎた辺りから、顔を見せ始めて…
八合目過ぎ…
このルートは、階段が多いので、こんな状態がイヤですね。
アイゼンを装着した方が、絶対、安心して歩けます。
国見城址は、日当たりが良いので、ほんま、ドロンコ。
六甲の最高峰の広場と同じですね。
葛木神社までの坂も雪があると歩き易いですけど、固そう。
仁王杉の後は下りですから、これもイヤですね。
アルクノさんの事やから、お尻で滑り降りられるのかと思いました。(^^)
湧出岳の後は、三角点から林の方に下りて行かれても良かったかもしれませんね。
大屋根広場の下のトイレ、使えましたか。
ボクが行った時は、凍結で使用不可でしたから、余程、気温の高い日が続いてるんですね。
雪が無いという情報でも、金剛山って、やはり残雪がありますね。
かえって、ヤバイ雪のコンデションなのに、「ラクチン登山で、歴史の勉強もできて楽しんだ。」と締め括られたアルクノさんはサスガです。
風月のイカ焼はビールによく合いますね。
お疲れ様でした。(^^)
eko
急階段、アイスバーンと凄い道を歩かれるのですね。
金剛山は楠木正成縁の地なんですね。千早城址跡には神社があるのですね。
転法輪寺、葛木神社は立派ですね。
見所の滝と千早のトチノキも見事です。
金剛山の歴史を教えて頂き有難うございます。お疲れ様でした。
あべのハルカス一度行きたいと思っているのですが、まだ実現していません。
てくてく
バスよく空いていたそうで。雪がないので、皆さん敬遠されたんでしようかねぇ。
雪が降らない上、溶けては凍ってるので、バーン固くなかったですか。斜面でスケート・・・なんて。
階段と、バーンの悪路、お疲れ様でした。
てくてく
藍上雄
そちら標高の高いところは、雪が融けないで残っているのですね。かなり寒そうな景色ですね。金剛山の歴史に纏わるエピソード興味深く読ませていただきました。
アルクノ
ドロンコの国見城跡でしたが、
まだアイスバーンがあって良かった^^、
という感じです。
楠木正成の千早城はyoppyさんの紹介で知っていたので、その関連を調べました。
地元湊川神社との関係もあるので、この際はっきりしておかねば。
と思いました^^)
千早城址からの本道は雪が少ないせいか、先日の新神戸駅から掬星台に向かう道筋よりは空いていましたね。
この日は家族の少人数グループが多かったです。
下山してくる人に詳細を聞いていたので、8合目からアイゼン付ける事にしましたが、結果的には正解でした。
ドロンコ踏んでからだと装着しにくい^^;
そうですね、六甲最高峰でも同じ経験があります。
山頂で6℃ですから、一旦解けて、夜明け前に氷になった感じでしょうか。
雪が残っていたのは日陰の一部だけで、
アイゼンでIce Slopeをガシガシ歩きました。
段ボール持って行けば良かった^^)
湧出岳から林の方へ、ですか。
Sugarさんが覚えていた健脚コースを下りましたが、アイゼンが木に引っ掛かってこけそうでした^^;
大屋根広場の下のトイレはyoppyさんの記載で心配でしたが、普通に使用できたのはラッキーでしたね。
一番きついのは、伏見林道滑り台下りで、
膝がギシギシ泣いていました^^;
結果的にはアイゼン氷上歩きの練習も出来たし、楽しかったです。
山科以来の風月です。
阿倍野で風月イカ焼は予想Guyでしたが、
看板見て即決!
予想通りの美味しさでした
アルクノ
アイゼンの装着は最初おっかなびっくりですが、慣れると自分を守ってくれる道具という感じで、直ぐ慣れますよ。
今年は暖冬で、これが最初で最後の感じです。
連続アイスバーン歩きは初めてでしたが、いい練習になりました。
最初の急階段には驚きましたが、手摺もあるので、
岩登りよりは楽です^^)
楠木正成縁の地であることに感慨深いものがあります。
幼少の頃から湊川神社に慣れ親しんでいたので、
ここでこんな風に戦っていたのかと想い、
楠木正成公のバイタリティーを知りました。
転法輪寺と葛木神社が、修験道の開祖とされる役小角と繋がっている事も知りました。
急坂の林道下りで何も無いとがっくりですが、無名の滝と千早のトチノキを紹介できて良かったです。
私も今回、金剛山にまつわる歴史を勉強して、知識の整理が付きました。
あべのハルカスは見上げただけで、
まだ登っていません^^;
是非、そのレポートを期待しています
アルクノ
私達は何度も休憩して、階段は緩やかな方を率先して選びました。
でも、Sugarさんには摩耶山の半分と言われちゃいました。
バスが数人なのには驚きました。
でも車が多かったので、小人数グループが好む山でしょうか。
雪にはがっかりで、氷を沢山見てきました
仰るように、解けた雪が凍っているので、アイゼンがガシガシと鳴っていました。
アイゼン無しだとスッテンころりデス。
小学生の兄妹さんにスライド歩きを教われば良かった
来年は、この10倍の積雪を期待したいです
アルクノ
私は清盛の大河ドラマとその関連で兵庫の歴史をかなり知る事になりました。
楠木正成の場合は、子供の頃から湊川神社で慣れ親しみ、後年地域のボランティアの方と一緒に歩いてその歴史を学びました。
その意味でも、金剛山には興味があって、何時かその詳細を調べて記事にしたいと思っていました。
正成はかなりの策士で、あまり褒められた戦い方ではありませんが、多勢に無勢で仕方なかったのかも知れません。
のちのち、水戸光圀公が取り上げ、明治政府が持ち上げた格好ですね。
この時期、金剛山は氷点下で、雪が沢山あるのが普通みたいです。
昔登った時、全てが真っ白でした^^;
登っていた方も、こんなに雪が無いのは珍しいと言っていました。
ただ風が当たると寒かったです。
また歴史関連があれば、紹介したいと思っています。
あこ
時間をかけて登らないとしんどいですね。
地図を見ただけではわからない。(*^-^*)
楠木正成さんの藁人形作戦はさすがですね。
雪が少なくて、楽ちん登山とありますが、
歴史の勉強は、おもしろかったです。
アルクノ
この様な長文に目を通していただき、感謝です
休憩ポイントが沢山あるのは大歓迎^^)
地図を見て、時間数字が増えてるのは急坂か、岩だらけが多いですね。
階段だと、ゆっくり行けばOK牧場デス。
地図を見てああ行って、こう行って~、
と頭に入れますが、
実際はこう行って、ああ行ったりして、
よく分らなくなる事が多いです^^)
今回は経験者がいて楽でした。
藁人形作戦を思いつくなんて流石です。
昔はLEDの携帯ライトも無かったし、ろうそくの灯りだと兵がいる!と思ったのでしょうね。
10センチ程度の雪だといいんですけど、20センチを超えると歩くだけでしんどいです。
今回は、歴史の勉強に専念できたのでヨシとしています
山ちゃん
やはり金剛山も今年は雪が少ないですね(>_<)
金剛山は何度も登っていますが、千早本道を登山口から登った事がありません。改めて歴史認識の勉強をさせて頂きました。もうそろそろ出掛ける時季になってきたようです^^
アルクノ
他の記事にも気持ち玉を沢山、ありがとうございます
暖冬の影響とは言え、雪が少なすぎる金剛山でした。
何度も登っているのでしたら、
これは酷い!と思えるのでは^^)
千早本道を登山口から登ると、歴史を体現できると思います。
私も勉強させて頂きました
頑張って下さ~い