湖南アルプスの一番手 太神山☆☆(2015.09.23・祝)

順位 95位 アクセス数1547(2019.6.30調査)

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まず初めに、今まで使ってきたガイドブックの問題点などを整理します。

バスのアクセス関係でトライできない山が出て来るかも知れません。
冬季は登れない山もあるので12月以降は数座を残して中断になります。

まだこのガイドブックが使われているでしょうから、その総括をしたいと思います。

私達は、京都新聞出版センター発行の「京都滋賀日帰り山歩50選」(以下ガイド)を教則本にして歩いています。
2007年に発行された物を入手し、2013年から使ってきました。
一度も改訂されていないガイドで、今でも、ネットで申し込むと送料無料で購入することが出来ます。

しかし、8年も経過すると山の状況が変わっており、コース通りに歩けない事が度々発生します。
今回もそうでした。
ハイキング中に、山頂から新免(ゴール)への路が途中で崩落している情報を得て、スタート地点のアルプス登山口往復としました。
このガイドだけ持って行くと、危険な道へと案内される^^:
あまり一般的ではないルート設定が結構あります。
この8年間で崩落個所も幾つか発生しています。
行くか行かないかは現場で判断し、自己責任で行動しないといけません。
過去、逆コースにした方が安全な場合や、逆にするとアクセスが便利という事もありました。
コース取りも色々あるので、書かれている通りに歩く必要も無いと思います。
山頂から先の崩落が予想されて、来た道を引き返した事もあります。
地元の方やハイカーの案内を得て、助けられたことが何度かありました。

バスによるアクセスの場合、ほぼガイドに書かれている事が外れている^^;
バス路線が変わったり、朝・昼・夕に減便されたり、運航会社がコミュニティーバスに格下げとなったり、土日だけの運行となったり、運行廃止だったりして、事前に調査しないと大変な事になります。
行きはヨイヨイ、下ってバスが無い。
なんて事態になるかも知れません。
あくまでも2006年7月から2007年3月に調査した内容が書かれています。
内容が改定されず、廃刊にもならず、そのまま発行され続けています(2015.09.26)。
実施に際しては、ご自身の調査能力が試されます。

このガイドの特徴は1枚1枚が切り離せるようになっていて、表に山の歴史や特徴が書かれ、裏にコース説明があります。
残り数座となって思うのは、表の説明には頷くことが多いです。
裏のコース説明には首を傾げることが頻繁に発生します。
コース説明が1ページの半分で済む山もあれば、5~6ページを必要とする長距離&複雑な山もある訳です。
そのページには地図や写真にコースタイムまで載せ、余白にコース概略が書かれています。
詳しく説明するには土台無理な状況です。
私の場合、数千の文字を用いて説明したりしています。

利点は、該当する1枚だけ持って行くかコピーすれば良いという一点だけです。
どんなガイドブックも発行後は過去の記録になります。
発行年の古いものは、この通りにはなっていないと考えるのが妥当だと思う。

ガイドブックについては以上です。

私の過去ログも、数年前の山歩き記事はこの通りにはなっていない。
と考えた方がいいです。


以下、太神山(不動山)について。
ガイドから、歴史や特徴が書かれている部分を分かり易くします。
関西100名山に名を連ねる太神山(たなかみやま・599.7m)は、もともと鬱蒼とした山林に覆われていた。
奈良~平安時代には水運の便に恵まれていた事から、藤原宮、東大寺、紫香楽宮などの造営用材としてそのヒノキが利用されました。
のちには、信楽焼の燃料材として雑木を含む山林が伐採されていく。
花崗岩が露出する一面の禿山となるまで全ての木々が切り倒され、
燃料用に根っこまで掘り起こされてしまう。
それ以降、
雨が降ると鉄砲水となって土砂が流され、
形成された天井川が豪雨で氾濫し、
地域住民を苦しめていきます。
明治以降、深く反省した行政は植林を推し進め、
砂防ダムを建設し、
100年の歳月をかけて現在の緑成す山に変身させていきました。

この辺り一帯、太神山(たなかみやま)を主峰にした低山が連なっています。
これらを田上山(たなかみやま)と呼んでいます。
この東に竜王山や金勝山がある。

「金勝(こんぜ)アルプスの主峰・竜王山☆☆(2015.07.04・土)」からの引用↓
『田上や金勝の山々は、古く藤原京の造営用材としてここからヒノキ材を採取したとの記録が残っているほど、歴史が古い。
江戸時代には燃料用に松の根までが採取され、「田上の禿」として全国的に知られたはげ山地帯となりました。豪雨で大量の土砂が流れ出し、水害に苦しんだ地元の集落は移転せざるを得なかったほど。』


湖南アルプスと呼ばれるようになったのは、
大正末期に○○アルプスと名付けるのが流行となり、
京都山岳会により命名された。
湖南アルプスは滋賀県大津市の東南端に位置し、瀬田川支流の大戸川、天神川、信楽川に挟まれた山地の事で、田上山一帯を指す。
大津市の南部、信楽町と栗東市に接しています。

長い前置きはこれにて終了します。


コース説明です。
アルプス登山口~迎不動🚻~泣不動~不動寺🚻・太神山、の往復です。
位置関係はアルプス登山口の東南東に太神山があり、ルートはほぼ直線で片道6キロ弱です。
迎不動と泣不動の間に露岩の坂がある。
道標がしっかりして紛らわしいポイントが無く、難儀する場所も無い。
なので、難易度は☆☆(山×2)と初級者お勧めコース。
8年前、
太神山→新免へと下れば、ガイドにある山×3になる。

バスでのアクセス。
私達は休日だったので、
JR石山駅9:25(始発)=帝産バス「アルプス登山口」行き=終点9:50下車(390円)
帰路は、「アルプス登山口」から石山駅行き14:55
平日・休日共に便数も多い方で、利用客も多いのだと思う。


やっとこさの、スタートです。
京都・滋賀50山チャレンジャー、何時もの5名が石山駅9:25のバスに乗る。
嬉しい事に、瀬田の唐橋でバスが止まった。
下流側です。
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「国道潜って、JRの高架の先に瀬田工業高校漕艇部の倉庫があり」、その練習でしょうか。
上流側をズームしてみた。
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「琵琶湖一周ウォーキング」第8回 石山から道の駅草津(2012.11.20)↓
https://arukuno.seesaa.net/article/201211article_7.html
を思い出します。

バスは瀬田の流れと別れ、山裾へ向かう。
この時、車窓から田上山の連山が見えてきた。
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右から笹間ヶ岳(433m)、矢筈(やはず)ヶ岳(562m)、主峰の太神山(599.7m)、堂山(384m)のようです。
農作業される方がこれら山々を眺めると、正に田上山です。

主峰を同じ読みの太神山とした理由は何でしょう。
天照太神は 天照大神の別名なので、田に恵みをもたらす太(陽)神のことでしょうか。
田圃の上にある、なんて名前ではショボイですからね。


アルプス登山口で下車すると、天神川が直ぐ傍を流れている。
川幅は狭いながら一級河川です。
この左側に、東西逆方向に設置されている地図看板がある。
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地図だと右方向だが、コースはこの左です。
田上公園から太神山まで5.7kmとあります。
直線なので赤いラインで示す必要も無いですね。
かなりの距離だと思うが、ここから磨崖仏~竜王山へも行けるようです。
ガイドにある帰路は、不動寺左から北へ向かい、西(左)の新免へ下るルートですが、自然に消えたのか、誰かが消したのか、そのラインが無い!

川沿いの道ではなく、車道を行きます(9:49)。

行くと、川の上が舗装されている道路がある。
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そこで↓の方が水タンクを原付バイクに乗せようとしています。
聞くと、金魚用にここの水がとてもいいのだとか。
確かに綺麗な水が流れていました。

次の分岐は、みほとけ河原に向かう富川道で、やり過ごして直進する。
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脇道多し!注意!!と書いてあった。

川向うを見上げると、
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険しい岩場が見えて来る。
その先に迎不動です(10:20)。
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左に🚻もあるので小休止。

行くと鎧ダム・堂山への道標です。
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堂山は標高384mなので大した標高差では無いが、大津警察署の登山者カード投函箱が設置されている。
先ほどの岩場を行くのでしょうか。


次の分岐、
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詳細地図を見ると、堰堤を幾つも乗り越えて矢筈ヶ岳へ行けるようだが、途中崩落しているようです(以下に出て来る「本願谷付近土砂崩壊の為通行できません」への道です)。
写真左端に写っている地蔵の脇に「←太神山」とある。
行くと1分で頑丈な車止めです(10:31)
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前を行く女性に近づいたのかと思ったら、
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一気に離された。
これは工事用道路で、天神川材料運搬道路と書かれている。
(地図では行き止まりになっています。)
右に、やっと、山道への分岐です。
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道標が幾つも立っています。
東海自然歩道、たなかみふどうみち、自然の道・歴史の道など。
太神山へは2.2㎞とある。
これだけあれば、舗装路をそのまま行く人もいないでしょう。
不動橋を渡って行くと、
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松茸山についての注意表示があり、以後幾つも木に括り付けられていた。
しかしその期間は平成25年10月1日~11月30日とあるので ?です。

行くとコース説明に書いた「露岩の坂」となる。
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詳細地図には七曲りとあり、その先「ニードル」と呼ばれる巨岩の群れです。
これが冒頭にある写真で、トマトさん曰く、グランドキャニオン!?
アリンコさんが見上げると、確かにそんな感じ^^)

そこを上ると、展望の良い所があって、小休止(10:50)。
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堰堤を見下ろしているので大津市の市街でしょうか。

休憩所と、
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崩落個所を経て、
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泣不動になる(11:21)。
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その先の分岐で「本願谷付近土砂崩壊の為通行できません」と看板がある。
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矢筈ヶ岳へは行けるようで、
矢筈ヶ岳~みほとけ河原~富川道と戻れるようになっています。
何時か行ってみたい。

緩やかな坂を上がると、二尊門です(11:32)。
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鳥居を潜ると、優しそうなご夫婦の門番が迎えてくれます。
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クリックしてその優しいお顔をご覧ください。

行くと木橋があり、
その先、折り返すように不動寺累代之墓地と彫られた石柱です。
見上げると、新しい六地蔵。
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行くと、可愛い六地蔵です。
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この分岐で青年二人が迷っている。
なんと、私達と同じガイドを持っていた。
左への下りが新免への道である事を教えてあげたが・・。

その先、不動寺で、私達も新免への道を尋ねることにした。
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年中行事には明日24日は採灯大護摩供とある。
その世話役の方か、ご住職か、優しそうな人が出てきた。
聞くと「新免への道はここ数十年歩いた事が無い」と仰る。
ヒェー!です。
境内にある護摩の準備を眺め、行くと手水舎(11:54)。
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ここに数名の熟年ハイカーが降りてきたので、
地図で示して新免への道を聞いてみた。
「通常誰も歩かない道で、以前から崩れていて危険!」な事をここで知らされた。
テープがチラチラあるが迷う道で、案内する人がいないなら来た道を戻った方が良い、と言われた。
先ほどの青年の事を案じつつ、百数十段の階段上がる。

本堂へ入ろうとすると、来るとき頑丈な車止めの先を歩いていた女性が出てきた(12:01)。
ここで休憩していたのでしょう。
この不動寺本堂は南北朝時代の再建だが、巨大な花崗岩の上に建てられた舞台造りとなっています。
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平安時代初期に智証大師円珍が創建したもので、ご本尊は不動明王。
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一般公開は28日までとあります。

その上の大岩です(12:04)。
Sugarさんが一番デカい岩を持上げようとしているが、
無理でした^^)
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小さな祠には可愛らしいBaby不動明王がいた。
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この岩を潜って向う側へ出られるようになっています。

「←三角点」の立札がある所を上ると、ありました。
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奥の院の裏側にある太神山二等三角点です。

奥の院の横で
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昼食にします(12:14)。
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残念ながら展望は無い。

岩を割って成長した樹木を眺め、
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下山開始(12:34)。
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あとは来た道を戻るだけです。



来るときに金魚用の水を採取していたところで、魚釣りをしていた。
どんな魚かというと、これ↓
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上からなので名前が分かりませんが、
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釣り人も分からないと言っていた(14:25)。

道中に花が全然無かったが、バス停に戻ると、
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キバナコスモスで蜂さんが食事中でした(14:30)。

14:55のバスで帰路に付くが、不動寺で「通常誰も歩かない道で、以前から・・」と教えて貰ったグループが戻って来て、同じバスに乗車しました。
矢筈ヶ岳に立ち寄ってきたみたいです。


石山駅で、あれこれ探したが適当な場所が無い。
餃子の王将も無い。
営業中のラーメン屋を探し当て、ビールで乾杯(15:40)。
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このあと注文していた餃子です。
屋号は「かなだ屋」で、細身で長身の熟年店主にその謂れを訊ねてみると・・。
行った事は無いがカナダが好きだから、という事でした^^)


今回のコース、露岩が続く七曲りの下りは要注意ですが、後は苦労せず歩ける道です。
本堂の扉が開くこの時期がお勧めで、護摩焚きの時は多くの参拝客で賑わうそうです。


文中に出てくる山名やその位置関係は、「通常誰も歩かない道で、以前から・・」と教えてくれたハイカーからの「田上山 案内図」を参照しています。
私たちにプレゼント、ありがとうございました。

何れまた、別ルートでチャレンジしたいと思っています。


長文を最後までご覧頂き、ありがとうございました

この記事へのコメント

  • てくてく

    ガイドブック、年がたつにつれ、仰る様に、ン・・・って事多くなりますねぇ。改定するには、現地踏査しなければいけないし、費用と手間が大変なんでしょうね。
    ・・・なんで、「てくてく」は、ちよと信用して、殆ど信用していません。

    太神山、林道歩きが長くって、道標も多くて、割に楽ですね。本堂、公開されてて、良かったですね。いつもは、真っ暗で・・・

    六地蔵から新免に下る道、昔昔、歩いた記憶ありますが、駄目でしたか。歩く人いなくなったんですねぇ。
    ン~とすると、新免には、迎不動さんから、鎧ダム・堂山分岐経由で下るしかないんですかねぇ。
    いっそ、新免・堂山分岐(堂山往復)・鎧ダム・迎不動・太神山・矢筈・みほとけ河原から富川or迎不動さん上の分岐でしょうかね。

    石山、あんまりお店が無くて、残念でしたね。
    湖南アルプス遠征、お疲れ様でした。
                         てくてく
    2015年09月26日 23:58
  • アルクノ

    てくてくさま、早速のコメントありがとうございます。
    阿星山(693.1m)では林道のかなりの部分が崩落していて、山頂から先が不安になり往復コースにしました。
    岩場や尾根道より林道の方がかなり怖いと思っています。
    2014年2月では三頭山への道で地蔵山への崩落個所と同じ道を通りましたが、その経験で度胸もつきました。
    安全な所ばかりでは、何が怖いか分かりませんからね。
    チョット信用して、それ以外は信用しない。
    これが正解ですね。
    しかし、8年も改訂しないのは心臓強いと思います^^;
    数千部売れると利益が出て、次の改定資金が準備できると言われているので、頑張って欲しいところです。
    出版社がこれを見て、心が動くといいんですけど。

    仰るように、新免へは迎不動から鎧ダム・堂山分岐経由になりますね。
    堂山往復は大変みたいなので、
    太神山へは同じコースで、下りで~矢筈ヶ岳~みほとけ河原から富川道を考えています。それができると、みほとけ河原から笹間ヶ岳往復ですね。

    ホント、その方面のお店は5時以降で、後は喫茶店しかないです。
    もし次回があれば、「かなだ屋」でまたビールにします
    2015年09月27日 00:58
  • 行き当たりばったり

    おはようございます。
    今回もハラハラドキドキでした。
    確かにガイドブックのような本は改訂版が少ないですね。発行年を見た時点で、本を買うのをためらってしまいます。
    さて、今回も、経験に裏打ちされた熟考や、周りの状況を見ての判断、他の人に聞く----と言った行動が、この紀行文に昇華されています。
    実際、行きたくなりますねぇ~~~こういうふうに紹介されると
    最後のシメが圧巻です。
    2015年09月27日 09:01
  • アルクノ

    行き当たりばったりさん、こにちは。
    最近は豪雨が毎年のように発生し、市街地でもアチコチの道路が寸断されたりします。
    山道なら尚更の事、多くの箇所で寸断され、復旧も進まない訳です。
    過去こういう崩落があったとか、
    今後豪雨があるとこの林道はヤバイとか・・。
    そこまで書いてこそガイドブックとして役立つような気がします。
    そんな事は書かれていないし、8年も改訂しない時点で失格ガイドなので、その点に注意して欲しいです。

    状況判断はたいしたことないですが、聞きまくる事に関しては能力を発揮していると思います^^)
    「聞くは一時の恥じ」なんて思ったら、わが身を危険に晒す事になります。
    グループだと誰かに頼って危険な方へ、もあると思います。
    私達はこの方法で何とかやって来れたと思っています。

    誰も居ない山もあるので、そんな時が一番ハラハラドキドキしますね。

    何とかビールでできて良かったです。
    2015年09月27日 17:28
  • yoppy702

    今回の前置き…「問題点の整理」は、残り数座なので、予行演習でしょうか?(^^)

    バス便や、崩落の事は、要事前調査になるでしょうけど、一般的でないルート、危険な道へ案内されるルートなどは致命的な問題ですね。

    最終踏査期間として、「2006年7月~2007年3月。踏査後も状況は常に変化してるので、事前のチェックが必要。」と明記されてますが、こと、命に関わる問題も発生しかねないのが登山ガイドブックですので、8年間放りっぱなしというは、それだけで問題ありと感じますし、かなり無責任な感じがしますね。

    てくてくさんの「チョット信用して、それ以外は信用しない」は真理ですね。
    アルクノさんも、きっと、そういう気持やからこそ、今回も、事前情報をキャッチして、ガイドブックは参考程度で、自分達のルートを決定されたんやと思います。
    毎度の事ながら感心します。(^^)

    地図看板を見ると、ガイドブックの下山ルートが載ってないですね。
    YAMAPの地図をチェックしましたら、黒の破線で載ってましたので、「新免への道はここ数十年歩いた事が無い」というのが納得。ヒェー!です。(^^)
    青年達、大きな試練に立ち向かっていったかもしれませんね。
    ボクの持っている、あるガイドブックでは、太神山の後は、矢筈ヶ岳経由で、アルプス登山口に戻っていました。

    グランドキャニオンが楽しそうです。
    それより、sugarさんが持ち上げようとしている大岩、これは重そう。
    ボルダーリングに丁度イイかもしれませんね。(^^ゞ

    王将がなくて残念ですが、生ビール&餃子はあったし、展望は良くなくても、寿司パックは美味しそうやったし、三角点が踏めたので、結果OKですね。
    お疲れ様でした。(^^)
    2015年09月28日 16:11
  • アルクノ

    yoppyさんと読者の方へお知らせ文を載せました。
    更に加えると、私達は3座目から危険なコースへ案内されたんです。
    小塩山(おしおやま)☆☆☆(2013.07.17・水)では道が在るような無い様な下りでNさんが転倒し、尾骶骨損傷で暫らくお休みしました。
    その時ミスプリもあったので、これは要注意ガイドブックだなぁと認識しました。
    伊吹は行けるとして、他の山×5が恐ろしい。
    崩落していたら、山×10です^^;
    残っている山ではバス便が休日のみ、神戸からだと始発電車で何とか?・・があります。
    冬は雪で行けない、夏は疲労で行けない^^)ですから、12月からこの50山はお休みです。

    改訂する場合、ルート変更と50山の組み換えもやるべきでしょうね。
    賤ヶ岳と小谷山が入っていないのも変で、歴史が嫌いなのかも^^)
    崩落している山と入れ替えた方がいいと思う。

    説明内容を疑い、行き交う人に聞きまくり、ここまで来たと言う感じです。

    新免への道、黒の破線でありましたか。
    帰りのバスで頂いたのは平成15年の古い地図で、田上不動道とありました。
    何れにしてもマニア向けみたいです。
    次回があれば、矢筈ヶ岳経由で下山ですね。
    遭難Newsが無く、青年二人は無時戻った、と想像しています。

    確かに難しい部類のボルダリング用大岩ですね。
    グランドキャニオンには登れそうデス^^)

    次回も「かなだ屋」でビールと餃子にします
    2015年09月28日 18:26
  • 凡稔

    この辺りの山々は、史跡、名刹等いっぱいありますね。アルクノさんのレポートで歴史の勉強をさせてもらっています。「たがみ」でも田上と太神・・。最初に漢字をあてたときどちらだったのですかねえ。
    田上連山の中に「笹間ケ岳」がありますが、「笹間」という地名は私の生まれ故郷ですので、えっ!?と思いましたよ。
    竜王山へはこの秋に行きたいと思っています。
    2015年09月28日 22:22
  • アルクノ

    凡稔さん、私もこういう機会を捉えて勉強しています。
    一度だだとなかなか覚えないので、この様に繰り返して文章にし、頭に刻み込んでいます

    たなかみがここの地名なのですが、田圃があるので田上だと思います。
    で、たなかみやまですが、沢山あるので、信仰の対象にした主峰をたなかみにしたのだと思います。
    太陽の神様のおかげで農作物ができるので、太神と当て字にしたような気がします。

    笹間という地名は凡稔さんの生まれ故郷ですか。
    驚きますね。
    竜王山のレポート、楽しみにしています
    2015年09月29日 00:04

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