明智越☆☆(2013.10.12・土)

一、二、山歩会の例会で、参加は京都からSugarさんと滋賀からNさん。
神戸方面からはトマトさんとリンゴさんに六子さんとアルクノ。

参加者には、以下の文章と最寄り駅時刻を書いたメールを前日に送信しました。
「コースは、
JR山陰本線亀岡駅~簾戸口(登山口)~峯の堂~土用の霊泉~明神峠分岐(送電鉄塔で昼食)~丸太橋~JR保津峡駅。
距離は約11kmで所要4時間の予定です。
明智越は7月26日に登った牛松山の南側、東西に横たわる稜線で、峯の堂の先にある所が標高420m。
丸太橋から逆の水尾へのルートを取ると愛宕山に繋がります。
明智光秀は毛利氏と戦う前、戦勝祈願の名目でここを通って愛宕山に向かったとされ、その時、主君信長を討つことを心に決めたとも言われています。
古くからの山道で「明智越ハイキングコース」として今に残っています。
登りと下りに岩ゴロゴロ道があるようで、足元に気を付けながらゆっくり行きましょう。」

しかしこの通りにはなりませんでした。
送電鉄塔での昼食までは同じだが、その先でコースを離脱し、丸太橋に向かわず保津峡ハイキングコースに入ってしまいました。
下りで岩ゴロゴロ道を回避したのは良かったが、一部崩れかけのハイキング道を歩くことになりました。
ところが、林道に出た所には「立ち入り禁止」の看板があったのです!


ガイドブック「京都滋賀日帰り山歩50選」(以下ガイド)には、
光秀が毛利氏と戦う前、この道を通って愛宕権現に向かい、翌日連歌会を催したとある。
その句は「ときは今 あめが下しる 5月哉」。
土岐(とき)氏は光秀で、あめは転じて天となり、光秀が天下を治めるとも詠める。
6月に入って直ぐ主君信長を討ったので、そのように深読み解釈するようになった訳です。
コース途中に「峯の堂」があります。
天下を取れなかった光秀を思い、地元の人は「むねんどう」と読むそうで、地元の方に慕われた光秀だったのでしょう。

水尾の地名は、清滝の川尻にあたる所から名付けられたらしい。
昔は枇杷の名産だったが、今は柚子の里として知られる。
過去ログに、水尾のユズ湯に浸かったのち宴会を実施した記事があります。
興味のある方は、以下をクリックして御覧下さい。
https://arukuno.seesaa.net/article/201201article_9.html
2012年の1月で、登るにつれて雪に包まれる、愛宕山の写真も掲載しています。



前置きは終了して、ささっとスタートします

山陰本線・亀山駅改札を出て、北口から山に向かって歩き出す(9:40)。
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前方にあるのは牛松山です。
此の先の車道に出て右折すると、左前方に保津橋が見えてくる。
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ズームで捉えたその奥に、鉄塔が建っています。
あとで思うと、ここを歩いたのかも知れません。
脇の畑では、若い感じの娘さんが紐で括られています。
助けなければ・・、
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と思っていたら、案山子さんでした。

信号を渡ると、開航400年保津川下りと書いてあります。

保津橋を渡る時に上流を眺めると、橋下にその舟が係留されていた。
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山陰線車内では「水量不足で保津川下りは中止です」とアナウンスされていました。
下った舟はトラックでここまで運ばれるそうですが、この右奥の入り江に舟の置き場を整備していました。

橋を渡ると保津百景道しるべと書かれた看板があります。
地名の謂れや語り継がれてきた風習に民話など、道しるべに残して設置しているそうです。
それが4コースあり、私達は明智越コースを行くわけです。

「保津」とある道標の向こうに見える信号を右折します。
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ガソリンスタンドを過ぎ、分岐を右に上がると「明智越ハイキングコース」と道標が立っています。
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頭上高く掲示しているのは、(あまり関係のない)トラックの運ちゃんへのお知らせでしょうか。

古風な家が並んでおり、これがガイドにある土塀です。
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この家を右に見て暫らく直進するが、両脇にコスモスが咲いている長閑な所です。
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右側、醤油「京むらさき」の看板を過ぎると文覚寺がある。

その先、物置のような小さな建物がある分岐は、
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右に行きます。
左には、水尾5kmと車向けの道標がありました。

ここまでも手で触れる所に、柿が沢山実っていた。
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この2本の柿の木の先、突き当りを右折する。
すると左側に登山口がある。
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これが保津百景道しるべの簾戸口(すどぐち)で、明智越の説明もありました。
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クリックして御覧下さい。
後半、この地図には描かれていない保津峡ハイキングコースに入り、水尾から下る車道に出ました。
赤いラインの少し南に出たのだと思います。

登山口には平成23年10月2日に山中でスズメバチに襲われる事件があった、と告げています。
全員明るい色の帽子を被っている事を確認し、歩き出す(10:15)。
直ぐにこのような立て札です。
ここまでもあったが、この先にも続いている表示で、
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QRコードで調べると、説明が出てくるのでしょう。
3分進むと分岐があり、左の明智越ハイキングコースとある方へ。
そこからはほぼ一本道。

なだらかな道だが、少し歩いて小休止(10:26)。
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この辺り、ガイドに「展望良し」とある所だが、イマイチ。
Sugarさんからのチーズワッフルが美味でした。

ガイドの文面から尾根を歩くのかと思ったが、山腹歩きのような道です。
樹間からチラチラ見えていた牛松山は姿を消して、荒れた道に変わる。
小石ゴロゴロや岩肌露出もあったが、歩きにくいと言う程でも無かった。
左上が尾根で、右は谷です。
凸凹道の先に、
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栗が落ちていたので休憩。
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各人、限定一個位しかありませんが、
お猿さんや猪クンが食べた残りを、私達が探している構図です。

そこを過ぎると石堂古墳がある(10:54)。
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過去にあった、と言う事で古墳の形状は確認できませんでした。

難所が一ヶ所あります。
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腕力を必要とする段差です^^)
Sugarさん、帽子を脱ぐと蜂に刺されますヨ。

峯の堂に到着。
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詳しく書いてあるので私の説明は省略。
上がると、平らな所ですが、
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荒れ果てたお姿。
ここから尾根歩きの先、明智越では420mの高所になるらしいが、山頂表示は無し。
左(北)に牛松山(629.2m)が確認できるようになる。
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ダラダラ下ると土用の霊泉(11:25)。
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この左、壁に掘られたような窪みがあるだけで、水は一滴も無し。
先ほどの高所からの高低差も少しだけで、作り話のような気がします。
右側、文面にある都は見えず、
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名前の分からん、この山があるだけでした。

そこから4分、明神峠の分岐です。
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左の鉄塔へ向かい、食事のあと戻って、保津峡へ下ります。
痩尾根を進むと送電鉄塔。
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ここも見晴らしが良いが、
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更に先の鉄塔を食事&休憩ポイントにします。
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その山側、お洒落な木札が架かっていた。
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少し分け入るが、明確なルートはありませんでした。

今日の弁当は巻寿司。
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少し長い左は、いくら貝柱巻です。

食後、集合写真の撮影。
まだまだ日差しが強く、特注のサングラスを着用して頂きます。
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右から、
シャキシャキのリンゴさん、そんなにお腹を抑えなくてもスマートですよ。
笑顔が素敵で甘いマスクのSugarさん、驚異的な視力でこの後ろにある京都タワーを見つけました。
デジタル20倍ズームにしても、白い爪楊枝のようなものが薄ボンヤリでしたのに。
血色良好トマトさん、今日は50mごとの休憩も無く、元気で登って脚力アップを証明しました。
一番スマートなNさん、引っ張ってくれてありがとう。
六甲麓の健脚六子さん、これからの参加も宜しく。
(ニックネームは自己申告+私のアイデア。)

峠に戻って保津峡方面に行くが、暫らくは展望の良いところを歩く。
二組の送電線グループが尾根を超えていく様は、
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電力のハイキングルートのようです。

今までの登りで、下りもヘナチョコだと思い、ガイドはザックにしまっていた。
なだらかな道ですが、分岐があります(12:33)。
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道標は一本になっているが、ここから左へ下る道が明智越で、そのことが分かりませんでした。
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その道は、この先荒れる事が予想され、パスした。

何の問題も無い、平坦な道を進むとまた分岐です(12:47)。
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矢印(↓)が現在地で、赤ラインに沿って下ります。
ここからショートカットに進まなかった理由は、これです。
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人が歩いた形跡が無く、小枝を横に置いたりして通行止め表示だったからです。
道標を見ると明智越から外れていることも分かります。
ここ迄ルートは直進で間違う人もいると思うが、明智越が保津峡ハイキングコースに変身しました。

下って行くと、折れ曲がりの地点に道標がある(13:01)。
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右が亀岡で通行止め。左へUターンのように進みます。
斜面を歩く道で、所々このように崩れかかっています。
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倒木や崩落箇所もあったが、大体は歩きやすく、展望ポイントもある。
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分岐で保津峡とある方へ向かうと更に倒木のオンパレード。
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水尾川の源流の様な所を三ヶ所ほど渡って、はっきりしたハイキング道になる。
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すると、それも終わって林道に出ます(13:31)。
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林道の向こう側にもコースが続いているが、出た所にあったのは通行止めの看板!
「落石、土砂崩れ、路面崩落などのよる」とあります。
ここまで歩いてきた道は通行止めのルートだったのです!
来た道には、通行止めのポイントが良く分からない、いい加減な通行止めです。

危険な箇所を写真で紹介していますが、その程度でした。
熟練者向けとは言え、六甲にある、これよりはるかに危険な大池地獄谷は、多くの方が歩いています。
神戸にある「太陽と緑の道」27コースでは、こんなの普通にあります。
私は慣れているせいか、お勧めコースにさえ思えてしまいます。
参加者に尻餅1名あったが悲鳴を発することもなく、楽しく歩き終えました。

しかし、ここを歩かれる方は自己責任で、宜しく御願いします。

下ると、最後に赤い橋を渡り、駅前に道路しかない無人の保津峡駅。
ホームから保津峡を眺めます(14:08)。
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確かに水量が少なく、これだと川下りができませんね。


京都駅構内でBEERとある喫茶レストランに入り、生ビールで乾杯!
写真撮り忘れました。
絵文字でご容赦を
枝豆、竹輪の磯辺揚げ、串カツ盛り合わせを分け分けして、美味しく頂きました。


次回も宜しくと別れ、神戸組4名が同じ新快速に乗車します。



長々とした記事を最後まで御覧頂き、ありがとうございました

この記事へのコメント

  • やまびこ

    歩くのに気候の良いシーズンになりましたね。
    アルクノさんは黒一点のようで、歩くのもノリノリのご様子。
    私も近ければお仲間に入れていただきたい思いになりました。
    2013年10月14日 17:48
  • アルクノ

    やまびこさん、本来は黒二点なんですが、その方療養中なもんで・・。
    楽しいので、ノリノリです
    もし、此方へ引っ越してきたら大歓迎しますので
    2013年10月14日 18:24
  • てくてく

    明智越、結構荒れていますね。
    林道からの入口、最近の雨で、通行止めになったのでしょうか。片方だけ通行止め・・・なんて困った事です。時々、出くわしますが・・・

    保津峡くだり、大雨で中止になったり、渇水で中止になったり、お天気が気まぐれで困ったものですね。

    ともあれ、無事、完歩され良かったです。お疲れ様でした。
                         てくてく
    2013年10月14日 21:07
  • アルクノ

    てくてくさま、全員ここは初歩きでしたが、予想よりは変化のある道で展望もまずまずでした。
    前半は一本道で、後半は分岐だらけという感じです。
    そのまま直進していけないのなら、保津峡ハイキングコースに入るポイントで通行止めの看板を立てるべきです。
    出口で驚かせる作戦は、受けが悪いと思います
    でも、六甲ハイカーとしては大して問題無しでしたが
    保津峡下りはこの辺りのドル箱なのに、お天道様任せなのはホント困ったさんです

    結果として、私達には楽しい☆一個のウォーキングコースでした
    2013年10月14日 21:54
  • 風子

    明智越ですか
    それにしても、戦国武将さんがたは、和歌やら俳句なんどの句を読むにも長けてなければならずってところですが、この光秀の句もなかなか味わい深いものがありますね
    保津峡下り、トロッコ列車など、随分前に楽しんできましたが、あの辺りの山々も歴史の山積するところでもあるんですね
    気の合う仲間の皆さんも美女あり、イケメンありで、また楽しからずってところですね
    2013年10月15日 17:22
  • アルクノ

    風子さん、ここは光秀様が歩かれたと言う事で、地元の方も親しみを込めて道を辿っているようです。
    丹生山に義経道があるのと同じですね。
    光秀は頭脳明晰且つプライドも高く、主君からサルと呼ばれた秀吉とはそりが合わなかったようです。
    この句にも自分こそが、との気持が表れていますね。
    光秀の無念を想いながら、アルクノもいいものです
    美女は居ますがイケメンは居らず、
    髭爺・アルクノが、喜んで歩いているようです
    2013年10月15日 18:36
  • 凡稔

    保津川も先日の台風では大暴れしたのに、もう保津峡下りができないような水量ですか・・。光秀も反逆者ということで秀吉にやられましたが、随分頭の良い侍だったようですね。歴史に「if」はいけないですが、光秀の世だったら、また違った現在になっていたかもしれませんね。それにしても、京都・神戸近辺には歴史学べるをハイキングコースがいっぱいあっていいですね。
    2013年10月17日 19:23
  • yoppy702

    明智光秀は、謀反人扱いされますが、領地内では、良い評価がされていたというのは聞いた事があります。

    亀岡駅~登山口までは、ガイドブックを見るより、アルクノさんの写真入り説明の方が、ボクには、遥かに解り易いです。
    やっぱり、写真って大切ですね。

    今の時期、ススメバチ、怖いです。
    ボクの帽子が、黒なので、この時期、ビクビクしています。
    スズメバチでなくても、ハチさんって、黒に寄ってきますもんね。
    違う色のを早く買おうと思ってるんですけど、何か、気に入ってて…(^^ゞ

    明智越の説明の中に、「明智越は、子供も老人にもたやすく散策のできる…」と書いてあったので、そのような道かと思いましたが、実際は、そんな感じじゃないですね。「たやすい」という言葉の程度問題ですかねぇ。
    確かに、子供でも老人でも歩けるとは思いますが。(^^ゞ

    それにしても、荒れた感じの多い道ですね。
    やっぱり、台風の影響でしょうか?
    特に、京都方面は被害が大きかったですものね。

    電力ハイキングルートのあとの分岐から、ちょっと、悩みそうです。
    ショートカットも、お一人やったら、ひょっとしたら、探検されていたかもしれませんね。(^^)
    でも、案内板に、これだけ、しっかりと書かれている道なのに…

    で、歩かれた所が、この案内板の通行止めルートやったんですか?
    解っていたら、歩かないルートですね。落石、土砂崩れ、路面崩落がなくて良かったですね。
    でも、不可解な案内板やなぁ…それに、このルートに入る時には、通行止めの立て札とか、ロープとか無かったんでしょ。

    今回も、無事、踏破。
    お疲れ様でした。(^^)
    打ち上げ、写真はなくとも、十分、イメージ出来ました。
    2013年10月17日 20:03
  • アルクノ

    凡稔さんありがとうございます。
    保津川流域の地形も関係するのでしょうが、水量調節するものが無いので流量の変動が激しいのだと思います。
    確かに秀吉が居なければ、光秀の天下が続いて、違った世の中になっていた事だと思います。
    地元の評価だと、優しくて思いやりのある武士だったとか。
    プライドの高いのが災いしたようです。
    また歴史に繋がる場所があれば、史実を交えて紹介したいと思います。
    2013年10月17日 20:33
  • アルクノ

    yoppyさん、ロングコメントありがとうございます。
    史実に疎いアルクノでしたが、このように各地を歩くようになり、歴史の勉強を現地でするようになりました
    これで、悪者光秀のイメージも多少良くなったでしょうか。
    私の地元では秀吉の愛した有馬の温泉もあることから、光秀は農村歌舞伎などでは極悪人のような形相で登場します
    所変わればデスね。

    人によってはスズメバチに刺されてショック死する場合もあるので、ぜひとも明るい色の帽子を着用して下さい。

    今回のコース、下りが指定と違う所を歩いたこともありますが、私達には☆一個でした。
    リンゴさんはスニーカーで歩いたのですよ。
    転倒したりすると、岩やグリ石で怪我や捻挫も考えられるのでトレックの方がいいと思います。
    スニーカーでお勧めコースは何時になることやら・・。
    新らしい倒木があったのは台風の影響でしょうかね。
    道が川になるような所もあったので、雨天翌日はダメですね。

    確かに通行止め表示はどちらからでも分かるよう、示さないといけません。
    今回は、明智越の簾戸口(登山口)に通行止め部分のお知らせ地図、更に明智越と保津峡ハイキングコースの分岐ポイントに塞ぐロープなどが必要でした。

    ともあれ、無事に下山できてよかったです。
    今回のあとに台風、更に台風がやって来るでしょうから、この時は楽しいコースでしたがこれからはその保証がありませんからね。

    最後のでは、皆さん楽しかった~と言ってくれたのが何より良かったです。
    2013年10月17日 21:16
  • yokkosan

    こんな美女に囲まれて
    元気倍増ですね!
    私は斜面の下りを見ただけで、
    膝がヒィヒィいいました(汗)
    最後はいつもの
    次また行くよ~!と声が聞こえてきそうです
    2013年10月29日 13:18
  • アルクノ

    yokkosanありがとう。
    ハイ、美女に囲まれてスキップしながら歩きました
    斜面の下りは、冷や汗が出るので涼しくなりますよ
    次回は、最後のをカメラに収めますので、乞うご期待。
    次回は11月9日の予定です。
    もう台風は来ないでしょうね~
    2013年10月29日 14:15

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