ボランティアガイドさんによる説明付きの参加費は200円。
ホッチキスで留めた7枚の資料には、コース地図、道標についての説明とその調査結果、きすみのに残る文化財の説明が載っていた。
そのコースは、神鉄粟生駅~大龍寺~若一神社(西脇町獅子舞)~阿形城跡~山水荘~嘉市の渡し~道標~養父寺~来住城跡~常楽寺~JR小野町駅です。
10kmコースですが、私達はそこから神鉄小野駅まで歩いたので歩いた距離は約12kmとなりました。
コースは地図を見て頂くとして、今回はコース順の紹介はせず、立ち寄ったポイントの写真と頂いた資料をもとに説明していきます。
ボランティアさんのお話を書き留める事はなかなかできず、マイクはありましたが参加約200名ともなると、全てを聞くことも難しかった。
しかし、印象に残っている事は書き加えていきます。
私達グループの参加は植物博士さん、アリマさん、六子さんとアルクノ。
受付を済ませ、
粟生駅前広場で観光協会の方による説明の後、準備体操でストレッチ。
体操のお兄さんを見ながら、真面目にやり過ぎて、膝が少し痛くなりました^^;
9時45分頃スタートして、
踏切渡り、大軍団が大龍寺に向かう。
こんな状態なので、写真撮影も困難を極める。
この石棺仏は石棺の底板に六地蔵が彫られていたもので、上下に3体ずつある。
南北朝期、西暦1330年ごろの作と伝えられている。
この大龍寺は曹洞宗の寺院で、阿弥陀如来を本尊としています。
ここには播州鋏鍛冶之祖の墓碑もある。
小野市の伝統産業のひとつである握鋏を小野で初めて製造した宗町宗兵衛(藤井宗兵衛)を記念して、嘉永2年(1849年)に建立されました。
本堂脇には小堂がありその中に韋駄天立像がある。
1.7mの立像は、甲冑をまとって甲を被り、剣を持って飛雲の台座に乗っているそうです。
宗の時代のものが伝来したと考えられています。
ここに上がる前に5分で見てきて下さいと言われたので、韋駄天の如く急がねばならず、内部は見ずじまいでした^^;
大龍寺をあとにします。
次は若一(じゃくいち)神社で小野市西脇町獅子保存会による獅子舞が披露されます。
これが今回のメインイベント。
この若一神社は若一王子大明神と大歳・諏訪明神を合祀したものです。
そもそもこの獅子舞は、文化6年(1809)村内に流行した疫病退散を祈願して奉納したのが始まりとされています。
この獅子舞は毎年10月の秋祭りに行なわれるが、私達の為に13番まである内の1番・3番・13番の舞を披露してくれました。
舞に使われる太鼓は約二百年前のものだそうです。
1番は八州(やしま)の舞で、四方舞とも言われている。
罪深い人の世の清浄を祈念し四方の悪を払い清める事で、露払いの舞ともいえます。
3番は吉野掛(よしのかがり)の舞で、若一神社の北を流れる七郷川(万願寺川)の氾濫や冷害などの被害が農作物に及ばないようにと祈る初春の舞です。
活発に動き回る元気のいい舞でした。
最後の13番は、谷渡りの舞です。
獅子はわが子を千尋の谷に突き落として試練を与えると言います。
そのような憂き目に会っても、勇気と情熱、崇高な意思を持って価値を創造する事が大事と、万人の栄光を願って舞います。
田圃の奥に阿形城跡がある。
石垣は無く、一部は墓地になっています。
城主は別所長治の家臣油井土佐守勝利で、三木合戦に参加したが羽柴秀吉に攻められて天正9年(1581)に落城した。
城跡は標高35mの高台にあり、堀切北側を陣山と呼んでいる。
続いて山水荘に向かう。
山水荘は明治36年第6代日銀総裁となった松尾臣善男爵が立てた別荘で、
明治40年に東京から宮大工を呼び寄せて建てられました。
日露戦争(明治37~38年)では戦費調達や正貨の確保を目的とした外債公募の実現に尽力したとあります。
ここの鴨鍋は有名で、一人1万くらい用意すれば食べられるそうです。
ガラス板は大正時代のものだそうで、映る光にも趣があります。
さほど広くは無いが裏庭にも風情があって、
その裏山にも少し上がれるようになっています。
通常ここは閉まっていて、眺めるだけの人がこのようにゾロゾロと入れませんが、私達の為に配慮してくれました。
右にあるJR加古川線を離れて、加古川の土手へと上がります。
ここに渡し舟の船頭さんの名を取った嘉市(かいち)の渡しがあった。
明治の初めに橋ができたそうだが、大正の初期までは高瀬舟で賑わい、高砂街道を利用して物資を運ぶ要所となっていました。
更に昭和18年(1943)頃まで、小野の町へ通う生徒や商用で出かける人達が渡しを利用していたそうです。
土手を降りて生活道路を行くと道標がある。
「右 しげ高砂 左 三木ひょうご」と彫られている。
小野の歴史を知る会の調査によると、このような道標が市内各所に105基あったとあります。
これらの道標は民衆が私財を投じて建立したそうで、神仏への報恩や旅人の無事を願う祈りが込められています。
建立者名には夫婦や女性グループもあったりするそうで、驚きます。
昔から山ガールさんは存在していたのでしょうか^^)
小野アルプスに向かうとき、この踏切を渡ってゴルフ場への道標から鴨池を目指すが、
今回は養父寺へ。
このとき既にお昼を過ぎていて、アリマさんと植物博士さんは歩きながらおにぎりを頬張っていました。
参道石段の両脇に石造地蔵像板碑がある。
両石碑とも延命地蔵像が彫りこまれていて、室町時代のものと考えられています。
養父寺は薬師如来を本尊とし、伝承によれば聖徳太子が建立した福聚山東明寺という寺でしたが、廃絶しました。
姫路城主本多正武が延宝6年(1678)に再建し、養父寺に改名したそうです。
境内には九重層塔や五輪塔があるが、行列のトイレ(男女共用)を終えると出立の時刻です^^;
水子地蔵をカメラに収めて次へと向かう。
もう12時半ですが、昼食タイムは無しの強行軍!
個人やグループで来られる場合は、ここが昼食場所になると思います。
畑と小野アルプスを眺めながら歩くが、
ここに来るまで柿の木が沢山ありました。
昔の街道筋には柿の木が並んでいて、旅人への水分とカロリー補給になっていたそうですね。
これらも収穫する様子も無く、無防備の柿の実でした。
来住(きし)城跡に来ました。
中世の城郭で、城主は清和源氏多田満仲の子孫である来住氏とされています。
正和2年(1313)来住安芸守惟友によって築城された。
天正年間(1573~1592)は来住景政が城主で、嫡子景利と共に別所方として三木合戦に参戦し、両名共に討ち死にしてしまいました。
それ以降は廃城となったようです。
この「きし」は「きすみ」とも読める。
「きすみの」とは野原のようなこの一帯を指す地名だが、「きすみの見晴らしの森」は小野アルプスの山裾にあって、遊歩道のようで楽しみながら森林浴も出来るところです。
コスモスもあって、ノンビリと散策ができます。
県道118を東に向かって、脇道に入ると、
パトロール実施中の方がいます。
総務部長の肩書きを持つこの方は、ずっと望遠鏡を覗いていました。
私が向かう方向にはそのコスモス畑が見えます。
最後尾なので早く行かないといけませんが、暫し写真撮影です。
「きしほいくしょ」の前を通って踏み切り渡ると常楽寺へ通じています。
ここが最後の立ち寄り場所ですが、もう1時で、ハラヘッタ~。
中には入れませんので、壁越しに写真撮影だけ。
真言宗の寺院で大日如来坐像を本尊としています。
大化5年(649)法道仙人を開基として建立されました。
山裾にあったものを天正10年(1582)にここへ移したそうです。
その後廃寺となって、明治時代に再建されました。
本堂脇にある入母屋造りのお堂は「ハメヅカサン」と呼ばれていて、マムシから身を守るお札を求めて、遠く淡路からも参拝があるそうです。
梵語を刻んだ柱はその本尊の無縫塔だそうです。
ハメとはマムシのことと聞きました。
以上で歴史のお勉強は終わり~。
そこから直ぐのゴール、JR小野町駅に向かいます。
乗車はしませんが、加古川方面のスカスカ時刻表です(13:12)。
たま~に、1両か2両編成で走っています。
駅舎には「ぷらっと きすみの」というお店があって、
地元産のそば粉を使った手打ち蕎麦が食べられます。
私達団体のせいで大混雑ですが、入店するか否か迷った挙句、別の所へ行くことに・・。
ここから神鉄小野駅まで約30分ですが、加古川を渡った先に中華料理屋があります。
他の方はラーメンですが、私は餃子と生ビール。
ジョッキが大きめなのは嬉しい事です^^)
植物博士さんは車なので、アルコール無しで早めに小野駅へ。
残った3名は、ノンビリ寛いで、その1時間後の電車と決めます。
そろそろと、店を出ると、オキザリスでしょうか、
子供の顔ほどのでかい葉っぱに可愛いお花。
10分で神鉄小野駅前に到着。
春になると桜が綺麗な処ですが、
駅の階段上がります。
電車が来るまであと40分もあります。
私はここで弁当広げ、かなり遅い昼食となちました(15:35~)。
神鉄のハイキングスケジュールに載っている、歴史探索ウォーキングは大抵昼食時間設定無しのコースで、パンや携帯食の持参がお勧めです。
私達以外のグループでも、クッキーや携帯食を食べながらの行軍がありました。
歩き終えた後の食事場所はスタッフが良く知っているので、尋ねてみてください

粟生駅は毎年多大なる赤字を計上している神鉄粟生線の終着駅で、現在志染駅から先の昼間は1時間に一本となっています。
車内吊りポスターには「乗らない路線は残らない」と悲壮感が出ています。
神鉄は、便数を減らすなど経費を削減しながら、活性化を推進しなければならない苦しい立場にあります。
この記事を御覧になって、小野の町に魅力を感じて頂いて、一人でも多くの方が訪れる事を願っています。
最後まで御覧頂いて、ありがとう御座いました

この記事へのコメント
風子
このまま何事もなく、順調にいってくれればいいのですが・・
小野の町もこういったウォーキング大会には力を入れてるようですよ
知人が、春に行われる大きな大会に行き20キロ歩いてきたと話してました
私も昨年、いつものプールの工事があり、その時に小野のプールへもいって、そんなウォーキング大会案内のチラシも見ました
きすみの見晴らしの森辺りもとてもよい所ですものね
皆さんの歩かれてる様子をみると、またって気になります・・ちょっとサボっていた朝のウォーキング再開してますので、また足を慣らして、無理のないウォーキング大会にも参加したいなって思ってます
yokkosan
いつものお昼のお弁当タイムがそんなに遅くては、おなかぺこぺこだったでしょうね
私も近場で軽めなウォーキングが開催されたら参加したいと思っています。
アルクノ
ほんと、やっと繋がるようになりましたね。
今後は順調にいって欲しいものです。
小野市は、昨年辺りからこのようなイベントに力を入れています。
ウォーキング大会も色々ありますが、20キロは凄いですね。私でもへたばりそうです
今回は「小野史を楽しむミステリーコース」とあったので参加しましたが、今までに無い豪華な内容でした。
このように、地元の協力も組み入れた工夫をこれからもして欲しいと思いました。
これだけの参加者があったので大成功です。
「神鉄ハイキング」で検索すると日程表が出てきます。風子さんも体調整えて、魅力あるコースに是非参加してみてください
アルクノ
確かに空きっ腹にビールは効きますし、ホッとしますね
実は、途中でアリマさんに携帯食を少し頂いたのでなんとか歩けましたが、ビールで生き返りました
yokkosanのウォーキング報告を楽しみにしています。
頑張って下さい
yoppy702
アルクノさんご紹介の「ひまわりの丘公園」…だったかなぁ…のある所でしたっけ?
名前は知ってるけど、どんな所かってのは知らないですもんねぇ…ん?そろばん…あっ、違ってるかな。(^^ゞ
こういう催しに参加すると、ちょっとだけでも、その町が解ってイイですね。参加しない方には、アルクノさんのブログを見る事で、同じような効果があります。
でも、200人!スゴイ!
ボクの行ったツアーで、50人でも、ムチャクチャ多いと思ったのに、その四倍ですものね。写真を見ても、スゲェ~というのが真っ先に目に入りました。
でも、獅子舞、この催しとこの人数が居ればこそ。この時期に、なかなかお目にかかれないです。ラッキーです。
昼食タイムなしとは…アリマさんと植物博士さんは、慣れておられるんですね。やっぱり、こういう時は、オニギリですね。
そして、最後は、やっぱり、大きい生ビール。でも、アルクノさん、五臓六腑に染み渡ったでしょ?
アルクノ
そうです、小野には「ひまわりの丘公園」と市役所前にでっかい「そろばん」があります。
あと、コハクチョウが飛来する鴨池と、そこから登る小野アルプスはyoppyさんにお勧めです。
更に、浄土寺には国宝の阿弥陀三尊像があるので有名ですが、その奥にある紫陽花もいいですよ。
獅子舞観賞は貴重な体験でした。
ブログでこのような獅子舞を掲載する人はあまり居ないでしょうから、興味のある方のお役に立てればと思いました。
ボランティアの方や地元で協力して下さる方は大変だと思います。
でも、この参加者を見ると更に頑張って欲しいと思いますね。
昼間は、粟生駅まで電車に乗る人は数人なのです。
次回、このような催し物&ウォーキングがある時は、おにぎり持参で、打ち上げは五臓六腑に染み渡る生ビールと、予定表に書き入れるようにします
かっぱちゃん
貴重な郷土芸能の獅子舞が見れるのはいいですね。
獅子舞って一度も直に見たことないけど、そばで見ると迫力あるでしょうね♪
見張りの海賊のお人形がコワいです(笑)彼はなぜか上半身だけなのですね。なぜにドラム缶の上に(^m^)
コスモス畑きれいです~今年は秋の気温が高かったので開花が遅れて今頃が見ごろなのですね(*^^*)
最後はビールと餃子でよいウォーキングになりましたね♪
アルクノ
ハイ、歴史のお勉強遠足を楽しんできました
表現方法が其々違う獅子舞を見たのは初めてだったので、新鮮でした。
このような舞を継承していくのは大変な事ですが、3組の若い方がされていたので少し安心しました。
この見張りの海賊さん、見た目怖いですが、突付いた私を無視したので大丈夫みたいです。
全身このままだと寒いので、下半身はドラム缶の中で暖まっているのだと思います(^。^)
コスモスはほんとですね、少し遅れて見頃になっていました。
もっと広いコスモス畑があるのですが、農家の方の協力もいるのでなかなか難しいみたいです。
餃子にはビールですね♪
でも、私は何にでもビールですね
てくてく
コースなど色々参考になる記事、有難うございます。
参考にして、一人でゆっくり、歩いてみます。
てくてく
アルクノ
大集団の写真撮影の場合、前の方だと人だらけになるので、どうしても最後尾近くになります。
ということで、私が進行の足を引っ張ってしまいました
三木はいろいろ探索しましたが、小野にもこれだけの史跡があったんですね。
てくてくさまも、更に探索して、是非歩いてみてください
KURI
大津市にも「小野」という場所があり、とても歴史の深い場所です。もしかしてと思って小野市のこともさっとググってみましたが、大津の小野一族との関係はわかりませんでした。でもきっと何かしらのつながりがあるのかなと思います。
アルクノ
「きすみの」を「キスミー の」と読み替えて、その場所を連想するKURIさんはロマンチストと言えます
「琵琶湖一周ウォーキング」第5回 志賀から浮御堂(2012.08.21)で、小野駅前を通りましたので覚えています。
私も調べてみましたが兵庫県小野市と大津市小野との関係はわかりませんでした。
村民が移り住んだとかの繋がりがあるのかもしれませんね。
琵琶湖の小野にキスするベストポイントがあればなお素敵です。
LLスタッフ
若干人数のほうがもりすぎです、100名前後ですよ、
でも写真撮影の進歩はすごいですね、獅子舞の躍動感など
びっくりしました。また、粟生線がらみのハイクには顔を
出してくださいね、こちらのブログを見ての参加者増にも
期待していますので、ボランティアスタッフに個人的に
任命します。また御一緒した時一杯おごりますわ。
アルクノ
これで一人でも多くの方が小野や粟生へ足を運んでくれたらと思います。
参加人数バラしちゃいましたね
モリモリにしたほうが良いと思って
撮影のテクニックはありませんが、「コツ」は狙うのではなく沢山の枚数を取ることですね。
この時も全行程で200枚以上を撮影しました。
そうですね、粟生線がらみのハイクに参加したいですね。
アリマさんが参加したという「笠松山」を近いうちに私たちグループで実施して紹介したいと思っています。
ボランティアスタッフに任命していただいてありがとうございます「広報担当・ブログ部門」で頑張りたいと思います