丸山駅から平家の足跡を訪ねて鍋蓋山へ・前編(2012.10.24)

順位 79位 アクセス数1723(2019.6.30調査)

前編では丸山駅~氷室神社~祇園神社~五宮神社までを。
後編では五宮神社~七三峠~鍋蓋山~再度公園~二軒茶屋までを紹介しています。
前編は舗装路歩きで、平家の歴史と足跡が残っている処を歩きます。
後編は山歩きですが、兵庫区から鍋蓋山へ登る最短ルートの紹介です。

下山後は二軒茶屋から有馬街道を北上して自宅へ向かいました。
歩いた合計距離は約16キロです。
二軒茶屋から鈴蘭台駅に向かうと、距離はもう少し短くなると思います。


前編の始まり~。

神鉄・丸山駅で下車する(8:40)、
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後ろは高取山に向かう道だが、目の前の階段登って線路を跨ぎます。
更に長い階段上がって、
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坂道を登ると住宅地になり、突き当りにあるマンションの右を下ります。
下った先で、西神戸自動車道に出合う。
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横断歩道を渡り、写真右端にある陸橋を上がって、渡った先で右へ降りる。

後ろに滝山町バス停があり、坂を上がるとトンネルで、その上辺りが鵯越の逆落しといわれるポイントです。
義経が隠密行動を取りながら、最後には僅か七十基を率いて鵯越の逆落しを敢行し、平家の大軍を滅ぼすまでの道のりを過去ログで紹介しています。
2年前の9月でしたが、私が歩きながら見聞した「義経の足跡を辿って」で、丹生山から鵯越までのことを書いています。
これも前編と
https://arukuno.seesaa.net/article/201009article_8.html
後編があります。
https://arukuno.seesaa.net/article/201009article_9.html
興味のある方はクリックして御覧下さい。

今回のこの前編は、その続編のようになっています。

陸橋を渡って坂を下ると山手幹線道路に出合うが、これが右(西)方向にある神鉄・長田駅から三宮方面へ向かう道路です。
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左に進路を取るが、電柱には「鵯越町2」とある。
ここはバス道で、150系統の市バスと阪急バスが走っている。
6分ほど歩くと、氷室神社への表示が壁に貼られています(9:07)。
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坂を上がると氷室町2丁目のプレートがあり、最後の階段上がると氷室神社です。
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この氷室神社は、
平清盛が福原遷都の際、兵庫七弁天の一社として市杵島比売を奉斎した。
清盛の弟である教盛がここに別邸を建て、後白河法皇を幽閉した場所でもあったとあります。

御参りして、中に置いてある説明書を頂きます。
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ここは愛のパワースポットで「恋愛弁天」とも言われ、その説明もありました。
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愛のポストもこのように。
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一通200円だが、その熱い思いをしたためて投函すると、神様の元へと届けられるそうです。
まだお相手のいない方は、理想のタイプを書いてもいいとか。
妻子持ちが、遊び半分で自分の理想を書いたりすることもできますね。
でもそれが神様に届いたりすると、天罰が下るかもしれませんのでご注意下さい

どうしてこのようなことになって、愛のポストまであるのか。
然るべき理由があったのです。
この写真をクリックして御覧下さい。
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清盛の弟・教盛には長男の道盛とその弟の教経がいました。
その道盛と小宰相との微笑ましい出逢い、更に後には鵯越の逆落し事件で最期を迎える悲しい恋の物語があったのです。
その逆落しで義経は一気に南下し、ここ夢野、妙泉寺、会下山にあった敵陣を攻めて平家の大軍を蹴散らしました。
平家滅亡はここより始まったのです。

その奥に氷室稲荷神社がある。
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お稲荷さんの総本宮、京都伏見稲荷大社より明治8年に勧請したとあります。
更に左奥に目指す氷室旧跡です。
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奥は狭く身長くらいしかありません。
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この氷室で保存していた氷は仁徳天皇に献上されたと記録が残っているそうです。
仁徳天皇は、日本の第16代天皇で、古事記の干支崩年に従えば、応神天皇の崩御が西暦394年、仁徳天皇の崩御が西暦427年となり、その間が在位期間となる(ウィキペディア引用)。
なので、かなり古い氷室です。
それが元で、製氷業、氷販売業、酒造業、水販売の神として信仰が厚かったそうです。
しかし現在は、この周辺でも氷の製造販売そのものが縮小し衰退傾向にあります。

色んな説明資料が掲示してあるので、ゆっくり拝見しました。
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分岐まで戻らず、階段下って左に行くと山麓リボンの道です。
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細い道をクネクネ行くと山道になる。
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この先で墓地に入り、下ると烏原貯水池に出ます。
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貯水池から舗装路を下ると突き当たりに住宅があり、その前から階段を下る。
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下って東へ進むと、とても細い人専用の道が続きます。
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やがて水音が聞こえてきて、階段を下ることになる。
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これが石井川で、
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この先で最初に分岐した山手幹線に出合うが、その手前の橋を渡って天王谷川へ向かう。
今度は車が通れる細い道を行くが、この建物が見えると左へ。
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突き当りの電柱には「滝山町26」のプレートがあり、右折すると、
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湊山温泉があるが水曜は定休日。
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銭湯の前を流れる川が天王谷川で、渡って川上へ。
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右岸の道は細く、突き当たると右に折れて階段になっている。
上がると有馬~三田へと続く有馬街道(R428)。
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押しボタン式の信号を渡ると、平野の祇園さんです。
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長い階段上がると、今年の大河ドラマに合わせて宣伝用の幟が立っている。
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清盛公とこの祇園神社との関わりが書かれていますが、
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この地で思いを巡らせて「経ヶ島」を築造するに到ったそうです。
その同じ思いに馳せてみては、とあります。
眺めてみますが、建物の関係で海の眺望がイマイチです。
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現在は廃寺だが神社の裏山にあったと伝えられる、潮音山上迦寺に上がれば同じ思いに浸れるのかも。
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中央の社が本社です。
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その祭神様はこちらに。
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登って来た階段を下って左へ向かう。
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数分で、再度山手幹線に出合う。
左に行くと直ぐ、五宮神社への看板がある(10:41)。
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道路向かいには古書店の屋号が書かれた庇もあった。
この先には、五宮バス停もある。
神戸高速鉄道の高速神戸駅で下車して北上すると、この山手幹線に辿り着くが、地元の方に尋ねると五宮神社への道を教えてくれると思います。

上がると3分で五宮神社です(10:44)。
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後編はハイキングになります

この記事へのコメント

  • 清兵衛

    大河ドラマを毎週観てますので
    歴史背景のあるトレッキングコースはたまらなく
    魅力に感じますよ!
    2012年10月25日 18:45
  • アルクノ

    清兵衛さん、早速のコメントと気持ち玉をありがとう御座います。
    この記事は、清兵衛さんが最近アップした、今も使われている氷室に関する詳細なレポートを拝見して、神戸の氷室旧跡も紹介したいと思いハイキングを実行しました。
    大河ドラマとも関係していて、コンテンポラリーになりましたね。
    2012年10月25日 19:28
  • KURI

    いつもながら綿密な解説付きの山行記で、自分が歩いたような錯覚におちいるほどです。
    1枚目の写真は「神鉄・丸山駅」ですか?カーテンのしまった引き戸で民家かと思いました。
    氷室神社、後白河法皇は何度も幽閉されていますが、ここにも閉じ込められていたのですね。
    祇園神社に五宮神社、どちらも興味深い神社です。市杵嶋姫命、櫛名田比売や天児屋命の神話を読み返しているだけで、おとぎの国に入っていけます。
    つづけてこれから後編も読ませていただきます。
    2012年10月27日 15:58
  • アルクノ

    KURIさん、何時もありがとう御座います。
    元々は神戸の兵庫区で育ったので、地理とか位置関係は良く分かります。5~6年前からの山歩きが加わって、それが立体的に繋がるようになりました。
    京都や滋賀だと、こうはいきませんね

    最初の写真は丸山駅ですが、手前の改札をフレームに入れたら良かったと思いました。何時も無人駅なの寂しい感じではあります。
    後白河法皇が幽閉されたのは、この近くにあった清盛の弟である教盛の別邸と言うことですが、その所在が良く分かりません。
    資料が集まって、またこの続編が作れそうになれば紹介したいと思います。
    祇園神社の詳細は最近のウォーキングで知りましたが、昔はこの下に市電が走っていて、お祭りの時に両親に連れられて来た思い出があります。
    神戸には一宮から八宮まであって、そのウォーキングに参加したのは最近の事でした。
    神社に祀られている神様のことも、色々取り上げると面白い事が出てきそうです。
    これも、またの機会にと言う事で
    2012年10月27日 17:59
  • てくてく

    平家ゆかりの神社など、興味深く拝読しました。
    氷室神社の、氷室は意外と狭い感じがしますが、暖かくなるまで、氷がよくもったものですね。
    後編、楽しみにしています。^_^
                           てくてく
    2012年10月27日 20:42
  • アルクノ

    てくてくさま、気持ち玉もありがとう御座います。
    時流に合わせて平家をピックアップしました
    実の所、兵庫区にいた時は、これほど平家と関係の深いところだとは思っていませんでした^^;

    氷室はもっと奥深いものだと思っていたので、私もこれは意外な感じででした。
    入り口にも扉を付けて、もっと保温効果を高めないといけませんね。

    後編は初心者向けの山歩きになります
    2012年10月27日 21:08
  • yoppy702

    毎週、「平清盛」を楽しみに見てますし、この辺りは、アルクノさんの記事とか、ほんの若干の自分の歩きの中での親しみがあるので、とても興味深く読ませて頂きました。
    でも…「鵯越の逆落し」でつかまっちゃて…
    兵庫歴史研究会さんの、「義経の実像・一の谷合戦における鵯越の逆落とし」も、ゆっくりと読んでしまいました。お陰で、「逆落しの現地案内図」を見ることで、アルクノさんのご説明、「後ろに滝山町バス停があり…」がようやく理解できたという始末でした。(^^ゞ

    興味深い事が多いのですが…

    やっぱり、「愛のポスト」(^^)
    平通盛と小宰相のエピソード。イイなぁ。現代だと、メールをピュッと送って済まし、一度でダメなら、次への方へメールを送ったりなんでしょうけど、二年間手紙を送り続けるなんて素敵ですね。…ん?今の時代だと、ストーカー呼ばわりにされるんか?…今の時代ではできない、ラブ・ストーリ。それを経て結ばれた二人に愛の結晶が…でも、悲しい結末…
    歴史的ロマンには、ウットリします。(^^)

    大河ドラマ「平清盛」がこの後、どのように展開をしていくのかは、史実があるので、殆どの方は理解しているのでしょうが、やっぱり、楽しみだし、そのタイミングで、こういう内容の取り上げは、たまりませんね。(^^)
    2012年10月28日 11:18
  • アルクノ

    yoppyさん、リンクのリンク先まで読んで頂いてありがとう御座います。
    多分、須磨一の谷が実はそうではなかった、の思いに辿り着いたのではと想像しています。
    義経はこの鵯越から夢野~会下山~大輪田泊へと本陣目掛けて突撃したのではないでしょうか。

    平通盛、武士の世では軟弱者と評価されていたかもしれませんが、現代でこのように存在感を示しているのはいいことだと思います。
    平和である証し、かもしれませんね。

    ドラマチックな…「鵯越の逆落し」の史実を紹介する事で、これからクライマックスを迎える大河ドラマ「平清盛」と兵庫の町にも興味を持って欲しいと思っています。
    2012年10月28日 13:52

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Excerpt: 後編は歴史とはあまり関係のない山歩きで、五宮神社~七三峠~鍋蓋山~再度公園~牛ノ背~二軒茶屋までを紹介しています。 前編を御覧になりたい方、は以下をクリックしてください。 http://2184685..
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