小谷山(おだにやま)で城跡巡り(2011.08.11)

いま江姫で話題の滋賀県長浜市にある小谷山(495m)の尾根伝いに築かれた小谷城(おだにじょう)の城跡を巡ってきました。
山全体が城跡ということになっています。
参加はリーダーのケンさんにモクさん、ミドリさん、アリマさんとアルクノ。

JR神戸駅から新快速に乗車して「青春18キップ」によるシニア5人組の日帰りハイキング旅行になります。
学生達が夏休みのこの時期に合わせてですが、18キップと言いながら年齢制限が無いのは嬉しいことです。
通常、神鉄沿線を歩き回る木曜ハイクグループとしては、県外に飛び出しての大遠征となります。

6時50分、JR神戸駅に上記5名が集結し、6:54発の大阪~京都~滋賀に向かう新快速に乗車します。
既に通勤時間帯に入っているので乗車率約200%の大混雑。
大阪駅でかなりの人が下車してくれたので、アリマさんと横並びで座席を確保。
朝食がまだの私は、昨日購入のメンチカツの入ったパンを齧る。
追加はチキンナゲットバーガーで紙パックに入った野菜ジュースとの相性が良かった。

米原で後ろ数両を切り離し、特急待ちで暫らく停車するが、
長浜駅から2駅の河毛駅で下車する(9:18)。
クリックしていただくと写真は大きくなります。
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この駅には改札設備が無いので切符が無くてもお咎め無しで下車できます(実行してはいけませんが)。
券売機はあるが、改札機を設置していないのはどうしてだろう。
設置費用を回収するのに天文学的年数がかかってしまう、と言う事だろうか。

踏切渡って駅の向こう側に向かい、トイレを済ませて、バスを待つ。
駅前には浅井長政公とお市の方のお姿があった。
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この辺りは湖北町と言うらしい。
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西側には琵琶湖が広がっています。

定刻少し前に路線バスと表示のあるワゴン車がやってきます^^)
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5名乗車するとほぼ満席になるので、団体さんはご注意を(9:24)。
一応走る路線がありますが、路線に沿った希望の場所まで私たちを運んでくれます。
昼食を用意していないと告げると、登山口近くのコンビニ前で停車となります(9:45)。
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親切にも、買い物が終わるまで待ちましょうかと言ってくれましたが、お礼を述べてバスと別れる。
運賃は5名で1000円ぽっきりでした。
タクシー感覚で乗れるバスです。

登山口に向かうのは今回の参加者で、撮影者は私です。
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大きな地図があったので、ここでコースの説明をします。
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現在地からオレンジのラインに沿って出丸に向かう。
更に城跡に沿って登山道が続いており、中腹の本丸を過ぎて山王丸、六坊の上には大嶽がある。
大嶽が小谷山山頂で見晴は無いが、そこで昼食です。
食後六坊の手前まで戻って、清水谷の急坂階段を下り、各屋敷跡を眺めながら現在地へ下ります。
この地図看板前をスタートしたのは9:50で、巡って、戻ってきたのは13:30でした。

暫らく平坦な追手道を進むと、
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登山口に杖入れのボックスがあります。
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ミドリさんは持参していますが、モクさんとアリマさんが残り少ない中から選び出す。
ケンさんと私は不用です。
心配げな表情の、わんこが私達を見送ってくれました(9:56)。
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暫らくはなだらかな道ですが「歩行者ルート」と立て札のあるところから急坂九十九折となる(10:03)。
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ヒーヒーハーハーと息を切らせて、辿り着いたのは出丸跡(11:05)。
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城の最前線に位置し、城下を見下ろす軍事施設です。
当時を再現したようなイラストも描かれています。
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地形は変わっており、樹木も茂っているが往時の雰囲気が残っているような。
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これから続く他の城跡もこのように説明が掲示され再現イラストが描かれています。

ここで案内を中断して、小谷城とその歴史について少しお勉強をしましょう。
ケンさんから頂いたパンフレットのコピーには、「お江誕生の地・日本屈指の山城」とあります。
その下「浅井氏の居城であり、信長との激しい攻防戦が行なわれた山城。
山城の遺構をよく伝えているだけでなく、激戦の跡が各所に残り、歴史性からいっても、物語性からいっても文句なしの第一位。
小谷城跡へ登ってみよう!」と書かれています。

小谷城は浅井三代、亮政(すけまさ)、久政、長政の居城でした。
長政が信長の妹のお市を妻に迎えた頃、浅井家は最盛期を迎えていました。
1570年、長政は義兄にあたる信長が盟友だった越前・朝倉氏を攻めたことで、苦悩の末に信長を討つ決心をする。
越前敦賀まで進行していた信長は両者の挟み撃ちに遭って、京へ逃れる。
その後、織田・徳川連合軍による近江一帯の攻略が始まり、長政を次第に追い詰めていく。
1573年、信長の命を受けた羽柴秀吉は小谷城に総攻撃をかけて、遂に落城となる。
落城の直前、自刃する長政と三女のお江を含むお市の方とは涙の別れをしたのでしょう。
その後の詳細は大河ドラマを御覧下さい^^)

金吾丸に登る手前で望笙峠に到着して、小休止(10:19)。
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琵琶湖が間近に望めて数人が休憩できるベンチもありました。
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天候は薄曇りだが、かなり蒸し暑い。
これは金吾丸ですが、これらの跡地は夫々整地されており、休憩場所は沢山あるということになります。
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その上の番所(登城者の検問所)に巨大な地図看板があり、最初説明したものより此方の方が分かりやすいです(10:42)。
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番所の直ぐ上にあるお茶屋は、休憩所では無く主郭の最先端にある軍事施設です。
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そこから直ぐのところに、頂上まで1.5kmと標示がある(10:49)。
干上がった馬洗池と御馬屋を過ぎると、
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敵に内通した家臣今井秀信を殺してその首を晒したと伝えられる首据石がある。
その上、桜馬場を過ぎると、
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お江が生まれたとされる千畳敷の大広間跡があり、
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その上に本丸跡がある。
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本丸跡から更に奥へは進めず、
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一旦戻って、大広間跡から左方向、本丸の裏側へ廻って進む。

中丸(なかのまる)を過ぎて京極丸があるが、大広間に次ぐ広さで京極氏の屋敷があった。
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秀吉の攻撃で先に攻め落とされ、奥にある久政の守る小丸(こまる)と長政の立て篭もる本丸が分断された。

緩いアップダウンを過ぎると、
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山王丸跡がある。
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ここに山王権現(現在の小谷神社)が祀られていたが、小谷城の詰め丸とも考えられている。
ここから清水谷へと繋がる道もあったようです。

山王丸を過ぎると一気に谷へ下る荒れた道になる。
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道が水平道になるとその先で、散らばっていた六つの寺院を集めたという六坊跡がある。
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更に2分で、清水谷への分岐がある(11:23)。
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ここから山頂まで約0.5kmの急坂を登って往復することにななります。
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ほぼ中間点の岩尾で木立の間から眺望があり、小休止する所です。
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アリマさんはあと150mのところでへたばりますが、誰も居ない山頂到着は11:50。
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ここでやっと昼食。
眺望は無く、虫がブンブン飛んでいるので、
虫除けスプレーを皆さんの背中や腕に噴霧する。
道中曇りだったが、ここで日が射してくる。
昼からパラッときそう、と言っていたバスの運転手の予想は大きく外れてしまう。
座る場所はそこら辺に横たわる丸太ですが、お疲れのアリマさんにはケンさんから折りたたみ椅子が。

食後、下山の前に右足集合写真撮影です(12:20)。
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登る時は分からなかったが、5分ほど下ると前方に眺望が開けてきます。
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清水谷への分岐は下山開始13分後。
所要時間は登る時の半分でした。
階段だらけの清水谷を下ると、最初の三田村屋敷跡です(12:46)。
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更に7分下ると八畳岩。
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V字に広がる潅木の間に、苔のベッドが寝心地よさそうな岩です。

次はチョット苦しい、余り似ていない蛙岩(12:58)。
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御屋敷跡と彫られた石碑のある場所を過ぎると平坦で広い道に出る。
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途中、清水谷道から番所跡へ通ずる虎ヶ谷道の説明があった。
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虎ヶ谷道は曲輪を多く配して防御を堅め、小谷城の最も重要な道であったらしい。

材木が並べられているところを過ぎて(13:20)、
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暫らく行くとスタート地点の小谷城戦国歴史資料館前になる。
資料館には入らず、20分ほどベンチでバスを待つ(13:30~)。

バス停に向かう途中で杖を返し、朝と同じ運転手を乗せたバスが来たのは13:52。
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朝には通らなかった民家の前で停車し、女子高生二人が萎んだ浮き輪を持って乗ってくる。
運転手の横に並んで座る二人。
1時間に一本のバスだが、電話予約するとタクシーのようにやってくるのかも。
ほぼ意味不明だがキャピキャピの会話で社内が華やぐ。
顔見知りなのでしょう、熟年運転手とも仲良くお話していた。

私達が乗車した所から歩いても30分ということだが、何故か20分もかけて河毛駅に到着する。
河毛駅にビールの販売が無かったのは、想定外のことでした。
仕方なくコーラをビールに見立ててグビグビ頂き^^)10分待ちで、姫路行き新快速電車に乗り込む。

米原駅で車両増結や時間待ちで数分間停車することは学習済みなので、私が米原で下車し、ビールとつまみ購入に走ります。
皆さんに渡して、車内でカンパ~イ!

楽しい日帰りハイキング&歴史探訪旅行は無事に終了しました。

この記事へのコメント

  • おけいちゃん

    やはり、そうだったのですね。お友達と長浜からバスにのりふるさと館から大広間跡までハイキングしました。途中、ガイドの説明を聞いていた時「あらっ」と思いましたが声をかけることが出来ず残念でした。大津で下車して帰宅しました。アクシデントがあり、思い出深い旅になりました。本丸跡からの写真とても興味がありました。さすが健脚コースですね。感心しています。
    2011年08月13日 08:43
  • アルクノ

    え~っ!
    おけいちゃんと擦れ違ったのですか。
    確かにガイドさんの案内で団体さんが何組もいましたが、全然気がつきませんでした。
    コース中、時折涼しい風が吹きましたが、蒸し暑くて私も汗ビッショリになりました。
    涼しくなった時にでも、またご一緒したいですね。
    2011年08月13日 09:01
  • てくてく

    アルクノさま
    史蹟探訪コースのご紹介有難うございます。
    「兵どもの夢の跡」と云うか「栄枯盛衰」と云うか、感慨深い物がありますね。
    琵琶湖の眺め、いいですね。
    歴史探訪の山歩き、お疲れ様でした。
                       てくてく
    2011年08月13日 09:26
  • アルクノ

    てくてくさま、気持ち玉二つもありがとうございます。
    私は社会科、特に歴史が苦手でしたが、このように実際に眺めながら勉強すると頭に入るようです。
    これから涼しくなるとドラマの方も佳境に入り、訪れる人が更に増えるかもしれませんね。
    しかし、最寄り駅にビールが無いのは改善して欲しいと思いました
    2011年08月13日 09:55
  • 風子

    江のふるさとを歩いてこられたのですね
    今年の大河ドラマは毎回観ております・・小谷城跡は画面でもなんどか見ましたが本当に山の中ですものね・・
    ただ江は小谷時代の記憶はさほどになかったのではとも思います・・
    余談ですが、来年再来年の大河ドラマの舞台は神戸らしいですよ・・また観光ブームになるんでしょうか
    それにしてもこの猛暑の中の登山・・感心するばかりです・・私なら即、熱中症でダウンです(=´ー`)ノ
    2011年08月15日 09:55
  • 風子

    それと、できましたら、ブログ右サイドへ表示項目へ「新着表示」も出していただければ、前回のレスなどを読ませて頂くのに便利なのですが・・
    2011年08月15日 10:00
  • アルクノ

    風子さん、ナイス玉もありがとうございます。
    幟にはお江の故郷と大々的に宣伝していましたが、ご本人はあまり記憶が無かったのかも知れませんね。
    山頂の大嶽城址まではただ登ったというだけですが、チト大変でした。
    神戸が大河ドラマの舞台になったら、私も案内に忙しくなりそうですが、ネタ探しがチト楽になるかも、です。

    ご希望の「新着表示」、設定しました。
    設定画面は、最初適当にチョチョイとやっただけで、以後の確認もしていませんでした。
    そういう利便性があったのですね。
    ありがとうございます。
    2011年08月15日 12:54

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