単独参加だが、途中珍しい人に遭遇する。
コースは神鉄・大村駅(10時集合)~金剛寺~谷大膳の墓~法界寺(絵説き)~神鉄・三木駅で,、距離は約10km。
日曜日とあって、歴史に興味のある方も多く居られるのか百数十名の方が参加。
大村病院の前を通って、山陽自動車道を潜り、
仏像製造工場の平安美術の前を過ぎると、
約20分で金剛寺。
門の脇には、平安美術さん製造の筋骨隆々たる黒鬼様が立っている。
昨年11月18日にはここで紅葉を眺めたが、境内に入ると水子を守る観世音菩薩様。
その傍らには、私のお気に入りのお地蔵さんです。
奥には五重塔があるが、高さ20m・総重量は60トンの平安美術建造でオール金属製なのです。
あまり近づかず、これくらいの距離を保って眺めるのがお勧めです^^)
境内にあるのは葉桜だが、
山桜はまだ健在の様子です。
広大な敷地内でお墓経営のおかげと平安美術さんの協力で立派なお寺となっています。
ここ如意山金剛寺は651年法道仙人開基との言い伝えがあり、825年空海が諸国修行の為立ち寄り、カヤの木で薬師如来を刻み一堂を建立したと伝えられる。
毎年4月の第2日曜日には、聖天祭(鬼追式)が行なわれています。
休憩後、一旦神鉄線路脇まで戻り、そこにある大村病院前から左折します。
平田幼稚園を左に見て、
谷大膳の墓へと上がる。
秀吉方の有能な豪将だったようだが、三木城攻防戦で毛利・別所連合軍との戦いで戦死した。
その位牌は金剛寺に納められています。
これがその墓。
ここでばったり、珍しい人に出会う。
2年ほど前までは良くご一緒した、Tさん。
お孫さんの養育担当で忙しかったが、少し手を離れるようになり、歩くようになったとか。
積もる話も沢山あったので、暫らく撮影を忘れていますが・・、
神鉄の線路を跨いで、イオン(嘗てのジャスコ)を見て左折する。
寺谷川を越え、加古川水系の支流で一級河川の美嚢川(みのうがわ→地元では「みのがわ」)に出合って、向こうに見える橋を渡る。
川を越えて右折後左折。
2008年4月1日に廃止となった三木市とJR加古川線を繋いでいた三木鉄道だが、その廃線跡を眺める。
三木市民は神戸電鉄かバスに乗って神戸市へ向かうが、この三木鉄道はJRに乗り継いで明石か姫路に向かう人が増えることを想定していた。
結局人の流れに沿わずに廃線となりました。
その人の流れの本流、三木市を通る神戸電鉄・粟生線もバスに押されて乗客が減り、赤字続きで廃線の危機に立たされている。
先日統一地方選挙があったが、私は神戸電鉄の運賃値下げと粟生線存続に積極的な公約を掲げている候補者に投票した。
市会も県会も投票した両名が当選したので、今後の活躍に期待したいところです。
話が横と縦にずれてしまったが、この細い路地を通ると法界寺。
その縁起については、此方に書かれています(11:41)。
クリックし拡大させてご覧下さい。
ここ法界寺は別所家の菩提寺となっている処ですが、三木合戦(秀吉の有名な「三木干し殺し」→兵糧攻め)で敗れ、家臣領民を助ける為に妻子兄弟と共に若干23歳で自害した別所長治公の亡骸もこの地に眠っています(この近くには別所中学もある)。
辞世は「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば 」。
当時であれば老年と言われる62歳になる私ですが、このような句は詠めませんし叉その様な状況になることも無く、ただアルクノばかりです。
今年は430回忌だそうで、法界寺では毎年その命日には法要が行なわれますが、今日は合戦の模様を描いたこのお寺にある絵図の絵説きが実施されます。
午前の部もあるが、午後は12時半より。
境内で食事は出来ないので、Tさんと門の外へ出て、狭い草原で弁当を広げます。
席が無くなるといけないので早めに本堂へ上がりますと、
12時15分から御住職さんよる別所長治公のお話があったのち、有り難いお言葉です。
(この三幅の絵図は、市による予算を計上して、京都で修復されたものだそうです。)
人は一人にて、また己の力にて、生きるにあらず。
ご先祖様や皆様の助けがあってのこと。
感謝することこそ大事!
と云うようなお話でした。
→私もそう思います。
12時半からは三木合戦絵説きで、過去から行なわれてきたことを伝承する専門家による語りです。
時代がかった文語口調で、その22ヶ月に及ぶ合戦の様子が語られます。
三幅の大きな掛け軸を前にして、あちら此方とスティックで指し示しながら、30分間の説明を台本無しで謳い上げるのは見事なものですが、肝心の全体像が見えてきません。
絵図の中の、個々の場面の説明に終始していました(しかしそれが絵説きかも)。
私はそんなに古い生まれではないが、活動写真と言われていた無声映画を説明する弁士のような語り口でした。
その語りにもう少し元気が欲しかったのですが・・。
右端の上に描かれている山が丹生山で、その下方に明石がある。
つまり三幅の絵図はそこから西を描いていると云うことになります。
絵説きが終わり、お堂の中を廻ります。
何時作られたものか分かりませんが、別所長治公と奥方様です。
歴代の別所家や徳川家の位牌もありました。
掛け軸ですが、これは向かって左にあったもの。
鴨居を隔てて、中央の掛け軸です。
この真ん中の左に、お殿様として座っているお方が長治公です。
右にあった掛け軸ですが、画面右上に、秀吉の弟秀長が夜襲をしかけて燃上する丹生山の明要寺伽藍が描かれています。
その絵図だけをなんとか撮った1枚です。
本堂を出て(13:07)、
道を知っていそうな、このカラフルなお三方に同行します。
来る時に気になっていた廃線ですが、歩いてみると何の変哲も変化も無い所でした。
先日歩いた旧福知山線とは大違いです。
国道175号線を潜ると、その先で橋が撤去されていて川を渡れず、迂回する。
暫らく行くと周辺を整備し、駅舎を改装して三木鉄道記念公園になっている所に辿り着く(13:32)。
入ってみるが館内には土産物などがあり、地元の特産品は「別所煎餅」。
三木駅に向かって行くと、美嚢川の河川敷は整備中でこの夏に工事は終わるそうです。
お散歩コースに選んでもらえるようにと、お金をかけています。
もう直ぐ三木駅です(13:43)。
暖かい日差しの中、久し振りの歴史探訪ウォーキングとなりました。
若くして覚悟が出来ていた別所長治のような武将を思うと、わが身を反省するばかりです。
しかし東日本大震災を目の当たりにして、国民の信任を得て当選した政治家の方々は、
その国民の為になにがなんでもやらなければという覚悟が出来ているのでしょうか。
党がどうのこうのと言っている場合じゃないでしょうに。
国政を掌る政治家の皆様方には、長治公による辞世の句をじっくりと拝読して頂きたいものです。
この記事へのコメント
風子
随分前にこの河川敷でお花見をやったことがあるんですよ
みっきいハイキング大勢の参加もあったようで歴史にも触れ有意義な1日だったみたいで何よりでした・・鍛冶屋の町三木市は小さいながらも歴史ある町なんですね・・
アルクノ
この日も桜の下、川縁でピクニックの方がいました。
美嚢川も加古川も桜並木が続いていますが、先日多種の桜が植わっている「おの桜づつみ回廊」では、その勉強もしてきました
今回は年に1回の絵説きということで有意義な1日でしたが、新たに知ることも多かったです。
やまや
アルクノ
私も歴史に疎かったのですが、何回も三木周辺を歩いて地元の方やネットから情報を得る内に、ある程度のことは分かるようになりました。
するとこの地域に愛着を感じて、更に知りたくなるという相乗効果も生まれました。
長治公の生き様は、この地域の方の心の支えにもなっているようです。