頂いたパンフには信条(プリンシプル)を貫き通したジェントルマン白洲次郎とあります。
朝日・神鉄文化セミナーということで講師は前回同様、茨木一成先生です。
第1回は「時代を動かした男たち坂本龍馬と勝海舟の足跡をたどる」で、8月29日にありました。
https://arukuno.seesaa.net/article/201008article_13.html
第2回の講義は欠席^^;
今回は講義だけでなく現場に行っての歴史ハイクということで24日(日)参加しました。
10時三田駅に数十名が終結し、南下して武庫川を渡って西に向かい、旧九鬼家住宅資料館から三田城址のある三田小学校(丁度地域の運動会が行なわれていた)
の前を通って、現在は防火用水のようになっている小さなお堀を眺め、
三田天満神社に向かう。
その右奥に天神公園があり、
そこで茨木一成講師による前半の講義が始まる(10:40~)。
余談が多く、かいつまんで・・。
ここに三田城に関するものがあったと言うことですが証拠は無く、その面影もありません。
前回同様本筋を外れたお話が興味深く面白いので、紹介します。
天神さんは菅原道真の通った道にあるそうですが、ここはそのルートから外れており別の意味で在ったそうです。
天神、天の神様、雷様だそうで、関東では雨を降らせるということでその雷を歓迎していました。
関西は豊かで雷は不要、恐ろしいものとして天神様を祀るのは雷除けだったということです。
更に余談ですが雷様にへそを取られると言うのは、仰向けに寝ていて雷に打たれると大抵死ぬが、うつ伏せに寝ていると助かる場合があるということから来ているそうです。
へそを隠せではなく、うつ伏せになれと言うことだったのです。
三田藩の話もありましたが、三田藩をYahooで調べてみると、
「いったん廃藩となったが、1626年(寛永3)出羽(でわ)国(山形県)上山(かみのやま)から松平(能見(のみ))重直(しげなお)が3万石で移封され藩治を再興、33年九鬼久隆(くきひさたか)が志摩国(三重県)鳥羽(とば)から移されて3万6000石を領し、~(途中省略)13代続いて明治維新を迎えた」とある。
弱小藩で元は3万石。
茨木講師のお話では、その3万石が戦わずして21万石にのし上がったそう。
それは九鬼家による接待漬けで、よっぽどいいお茶を出したのでしょうと言うことです。
戦争もせずに世渡りだけでベースアップをしたのは希なことのようです。
本題に入る。
白洲次郎の祖父、白洲退蔵は三田藩の財政を立て直すなどの仕事をやり遂げ、偉かったそうですが、次郎ちゃんはあまり勉強をしなかった。
答えの分かっている勉強はあまり意味が無いとして努力せず、成績は下がりっぱなし。
そこで親が心配し、19歳で英国に渡航させ、その2年後ケンブリッジに留学させます。
そこでは答えの分からない勉強をするので彼の性に合っていたのかも知れません。
例えば平和について君はどう考えるか、と質問された時、勉強していないと答えられませんね。
意見を問われ、自分で考える勉強をしたわけです。
チャラチャラした米語ではなく、本流の格調高い英語で。
ケンブリッジですから。
送金されたお小遣いは(今のお金に換算して)年間3千万!
ベントレーを乗り回し、酒とバラの日々ですが、それがまた彼の人脈を広げることになる。
前半はここまで。
その祖父退蔵さんの出生地を通り、
心月院に向かいます。
ここ心月院は九鬼家の宗廟(そうびょう)で裏の墓地には九鬼家代々のお墓が並んでいます。
歴代三田藩主の墓も並んでいますが、三田藩に仕えた白洲家なので白洲次郎の墓もあります。
右が白洲次郎で左はその妻正子
次郎ちゃんは文平の次男で、お酒が好きだった。
英国ケンブリッジ仕込みの、ウィスキー~がお好きでしょ♪です。
心月院に上がり、
奥の教室でお勉強です(11:45~12:15)。
後半の講義
1926年24歳の時ケンブリッジ大を卒業するが、その2年後に実家の白洲商店は倒産し、お金が無くなり次郎ちゃんも帰国します。
自宅の庭に水遣り用の給水塔まであったという敷地4万坪の(当時の航空写真にも写った)土地は差し押さえられ、
無一文に。
それで彼にもやっと勤労意欲が芽生え、正子と結婚した27歳の時ジャパンアドバイザーに入社する。
日本の実情を紹介する英字新聞で、彼の英語力が活かされる。
その後上京して転職を繰り返すが、血筋の良さと能力を買われて直ぐ重要ポストに。
35歳の若さで日本食糧工業(のちの日本水産)の取締役に就任。
主にヨーロッパへの営業回りです。
ここでまた彼の語学力と人脈が活きるわけです。
40歳で日本水産を退社し、43歳の時終戦。
その後は国の様々な仕事に携わる。
よく言われるのはGHQとの関わり。
警察予備隊を作れとマッカーサーが言った事に対して、軍隊を潰しておいてまた作れとは何事かと。
これは呟いたと言う事だそうで、直接マッカーサーに言ったことではありません。
しかし、たかが軍人のマッカーサーなどには負けない日本人としての誇りと信条を持っていたそうです。
日本の要人は英語がダメな人だらけで、外国との重要な会議や交渉には常に参列。
44歳の時日本国憲法制定作業にも立会い、48歳の時には吉田茂の特使として渡米している。
また先生の余談が出ましたが、○○勇人さん、米国でトマトジュースを頼んだらトマトケチャップが出てきたそうです。
英語力があるとされた宮沢さん、当地で(英語でしゃべっているのに)彼の日本語は解りにくいと皮肉られたそうです。
小泉さんも然りです。
政権が変わっても、今だその状況に変化無し。
通訳以上の仕事をした白洲次郎のことを茨木一成先生は褒めちぎっていました。
今の日本政界にも欲しい人材でしょう。
そのあと心月院住職さんのお話しです。
この教室は進学塾として使われており、習字教室でもあります。
住職さんが永平寺からここへ来た40年前、この心月院は潰れかけのボロボロだったそう。
1億7千万かけて改修と修復をしたのは今の住職さんのおかげ。
進学熟と習字の教師をして、その収入で賄いました。
お話の後、秘蔵のお宝を見せていただきます。
これは間宮林蔵が発見したその海峡を渡った時、既に心月院にはあったという古い世界地図。
次はインドの拡大地図。
お宝探偵団と一緒に眺めたいような秘蔵品の数々。
この毎月の言葉は住職さんが認(したた)めたもので40年前の荒んだ心月院の写真と共に掲示されていました。
私達のお勉強は終わって、
本堂にお参りし、
横山駅へと帰ります。
最後に白洲次郎が残したと言う、たった二行の遺言を紹介します。
葬式無用
戒名不要
無駄を省いて今の日本経済も立て直して欲しいですね、
次郎ちゃん!
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三田歴史探索・旧九鬼家住宅とさんだ歴史資料収集センター(2011.12.01)
Excerpt: 神鉄木曜ハイクですが、頂いた地図には6kmとある距離の短い平地ウォーキングです。 参加は何時ものモクさん、ミドリさん、アリマさんとアルクノ。
Weblog: アルクノのブログ
Tracked: 2011-12-02 14:31
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