兵庫区歴史さんぽ道シリーズ② 福原京(2010.08.24)

このシリーズの①は兵庫七福神巡りとして5月25日の私のブログにアップしていますので、興味のある方はご覧下さい。
https://arukuno.seesaa.net/article/201005article_4.html

お盆が過ぎても、ちっとも涼しくならないどころか逆に猛暑が襲い掛かるような暑さの中、神鉄主催のウォーキングに参加してきました。
案内パンフには「~平家ゆかりの地を訪ねて」と副題が付けられています。
9時30分湊川駅集合で、定刻前に到着しましたが20名ほどが集まっています。

前回のように班分けすると言うことで私は第1班に加わり、説明していただくボランティアさんの案内で25名ほどが出発。
頂いたパンフレットには、
「平清盛が平安京からこの地(神戸市兵庫区)に遷都をし、わずか半年とはいえども優雅な営みがもたれた福原京。この福原京の中心地であったといわれるのが、兵庫区の平野を中心とする一帯です。このコースでは平家一門の栄華を偲びながらその足跡をたどります。」
とあります。
しかし実際は清盛の孫に当たる幼い安徳天皇を奉じて政権強化を図ろうとしたが半年で頓挫し、都としての実態は無かったということのようです。

湊川駅から東に向かい、荒田公園手前から有馬道に入り、神戸大学附属病院に入ります。
参加者に急患が発生したというわけではなく、ここの立体駐車場内で遺跡が発掘されたことの説明の為です。
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そこから直ぐ西側に荒田八幡神社があります。
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古くは荒田神社でしたが、明治のとき合祀され荒田八幡神社となりました。
この付近に清盛の弟頼盛の別荘があったとされ、福原遷都のとき(西暦1180年)は安徳天皇の行在所となり、境内にその碑や、福原遷都八百年記念の碑もあります。
周囲の土地よりも一段高い位置にあり、この付近が都の中心であったといわれています。
ここから北上し平野の交差点から、
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更に北に祇園神社があります。
数十年前まではこの交差点を終点として走る市電があり、両親に連れられ祇園祭りに来たものです。
当時の賑わいはもうありませんが、平野商店街として面影だけは残っています。
昔このあたりに「古道街道」があり、旅人が道中の安全を願う道祖神としてこの塞神(さえのかみ)があったそうです。
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当時ここに大きな松があり、和田岬の沖を行く船がこの松を見て舵を直したと石碑に記されていました。

戻って、祇園神社に向います。
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長い階段を登った
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高台に神社はあります。
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兵庫の町が一望できるこの場所で休憩。
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中央右、木々が生い茂っているあたりが荒田神社です。
祇園神社にはこれらの神が祀られています。
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清和天皇の時代(西暦869年)姫路城北にある広峰神社より京都八坂神社にスサノオノミコトの分霊を移す途中、その御輿が平野の地で一泊されたので、ここに社を建てたのが始まりであるとされています。
スサノオノミコトは「祇園精舎」の守護神とされる牛頭天王と同一視されたことがこの祇園神社の名前の由来だそうです。

神鉄スタッフの方が携帯で連絡を取り合っていますが、後続の班の人数が少ないのでその第2班を待って再度班分けをするということです。
私は第1班のまま15名ほどが天王谷川沿いに下り、
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湊山温泉(入浴料630円)の前を通って南へ下り、
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山手幹線道路を渡ると湊山小学校があります。
その前に雪見御所旧跡があり、
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清盛の広大な邸宅跡であったことが記されています。

ここから石井川を渡り、
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西へと1kmほど歩いて熊野神社へと向います。
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これは遷都に当たっては天皇を守る神が必要として、清盛が紀州熊野の権現さんの分身・分霊を引っ張ってきたと言うことです。

ここから北へ向うと氷室神社ですが、
凶悪な熱波のため、案内・説明をして頂いていたボランティアの方がややグロッキー気味。
水分補給をするため自販機の前で休憩をとって頂くことになりました。
氷室神社へ上がると、
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神社の方かどうか分かりませんが、担当の方が4枚綴りの説明書を配っていました。
神鉄スタッフのMさんがその方にお願いして説明を受ることになり、ご利益や由緒・歴史などのお話を拝聴しました。
名の由来は額田大仲彦皇子が遊猟の際この氷室を発見し、弟の仁徳天皇に氷を献上したことからきています。
御神徳として仁徳天皇のこと、大国主大神(だいこくさま)のこと、神戸の伏見さんのことなどがありますが、恋愛弁天としても有名だそうです。
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そのお話を少し。
平教経の兄である道盛は法勝寺の花見の折に16歳の小宰相に一目惚れをし、3年間恋文を送るが無視され続けました。
これが最後と送った手紙を小宰相は仕えていた上西門院の御前で落としてしまい、拾った女院がそれを読み、全てを察して諭しました。
躊躇する小宰相の背中を押したと言うことです。
ドラマチックなお話ですが、こうして結ばれたお二人は人もうらやむ仲睦まじさで何時もラブラブ。
何処へ行くにも二人一緒だったそうです。
しかし時代は戦国の世、源平の戦い(西暦1184年)です。
この地、「夢野の仮屋でのひとときが、二人にとっては今生の最後の契りになってしまったのだ。」と説明文は締めくくっていました。
一途な恋のお話は、何時の世でも人の心を打つようです。

その後、壇ノ浦の戦い(西暦1185年)で平家一門の殆んどが滅ぼされてしまいます。
清盛の権力の道具とされ、そのとき8才だった安徳幼帝は二位の尼(清盛の妻)に抱かれて入水しますがこの時の様子は平家物語(巻十一,先帝身投)で伝えられているそうです。

ここから一気に南へと下り、湊川駅西の願成寺~新開地駅南の厳島神社へとコースは続く予定でしたが、この暑さの中熱中症が発生してはいけないとして、ここで解散となりました。

其方へは参りませんでしたが補足説明を少々。
願成寺には源平の戦で討ち死にをした道盛と小宰相を供養する五輪の石塔があります。
厳島神社のあたりは湊川の旧川筋になり地下水も湧き出て湖のようになっていたそうで、治水のため清盛が建立したとされています。
そして、この神社では毎年針供養が行なわれています。


私は湊川駅でスタッフの方と別れ、新開地商店街へ下ってランチです。
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エビ玉子めしが格安ですが、私はビール大ビンと酢豚!
嬉しいことに、野口英世さん1枚ぽっきりでOKです。

北へ戻って、湊川公園に咲く向日葵は、この暑さのせいで感覚が狂ったのか、各々勝手な方向を向いていました。
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このシリーズは③④と続きますので、そのとき参加できましたらまたアップします。


修正のお知らせ)
神鉄ハイキングスタッフからの御願いにより、本文の一部と(コメントを頂いた方にも了解を得て)コメント及び写真一枚を削除しました。
本文の脈略には直接関係の無いことなので受け入れました。
(2010.12.16)

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