コースは、神鉄・湊川駅~福海寺(大黒天)~柳原蛭子神社(ゑびす)~柳原天神社(布袋尊)~能福寺・兵庫大仏(毘沙門天)~真光寺(福禄寿)~薬仙寺(寿老人)~和田神社(弁財天)~市営地下鉄・和田岬駅の約3kmです。
脇目も振らずに歩けば1時間もかからないでしょうが、ボランティアさんの詳しい説明を聞きながらゆっくり歩いたのでゴールの和田神社まで2時間ほどかかりました。
近所の方をお連れして湊川駅に着いたのは10時チョット前。
1班2班は既に出発し、私達は10時10分に出発する最終組の第3班。
13日の木曜ハイクでご一緒した方と、初めて参加という方と4人でグループになり、ボランティアの方、神鉄ハイクのスタッフの方、総勢20人ほどでスタート。
最初にお参りした福海寺の住職様の説明。
日本は神仏混合、日本古来からある神様、インドから伝わった仏教を分け隔てなくお祀りしていました。
日本古来の天照大神は、仏教の大日如来様と同じという考え方です。
元は一つであったものが別の言い方になったと考えたのですね。
古代ギリシャではゼウス様という具合に。
今日お参りする、七福神もインド、中国、日本の神様・仏様・実在した人物の寄り集まりです。
だから夫々お寺4箇所、神社3箇所で祀っています。
大黒様は俵に乗っていますが、あがめれば食に困らないと言うことで、食堂や台所に祀られます。
食いっぱぐれのないように、働き頭のご主人を大黒柱という訳ですね。
次は真向かいの柳原蛭子神社。
私は20年前までここから5分とかからない門口公園近くに住んでいて、正月の十日ゑびすには毎年お参りしていました。
今でも電車に乗り、お正月にはここへお参りに来ています。
一つ省略して能福寺の兵庫大仏。
太平洋戦争のさなか、金属が不足すると言うことでここの大仏は潰され戦争に使われました。
平成3年5月に再興され、今は立派な姿を見せて日本三大仏とも言われています。
身の丈11m・総重量は60トンです。
一願成就の大仏様とも言われ、怨念と欲心を捨て一心にご真言を唱えれば願い事は叶うと言われています。
ご真言:おん・あらびらうんけん・そわか(七返)
大仏様から南西へ下ると福禄寿を祭る真光寺があります。
ここは時宗の開祖である一遍上人が亡くなった場所に建立された寺院です。
一遍は「おどり念仏」と言う布教方法で全国を遍歴したことで知られ、正応2年(1989)兵庫観音堂で51歳の生涯を閉じています。
ここにある南北朝時代に再建されたと言われる五輪塔は県の重要文化財です。
そこを出てすぐ清盛塚があり、琵琶塚もその隣にあります。
清盛塚は石造十三重塔で弘安9年(1286)供養塔として建てられました。
発掘調査で清盛の墓ではないことが分かりました。
琵琶塚は平家物語にも登場する琵琶の名手平経正(たいらのつねまさ)が琵琶と共に埋葬されたと言う伝承があります。
薬仙寺は天平18年(746)に行基が開いたとされる寺院です。
後醍醐天皇(1333)が福厳寺に身を寄せたおりに薬水を献上したことから薬仙寺の名を賜ったと伝えられています。
本尊の薬師如来坐像は国の重要文化財に指定されています。
最後の和田神社は神代の昔、蛭子大神が和田岬に上陸したと言われる所からはじまっています。
その後の謂れは省略して、ここには唯一女性の七福神で音楽の神様、弁財天が祀られています。
案内してくれた方の挨拶のあと、私達がお礼を言って、終了したのは12時10分。
私達グループ4人と、ここでもう一人加わって5人で昼食場所の中央市場へ向います。
私が案内する4名は全員女性です。
再び兵庫運河を渡り、中島を通って中央卸売り市場に着いたのは12時半ごろ。
お目当ての海鮮食堂、その名も「駅前」は、新しく建てられてビルの2階にありました。
行列が前へ進み、5人がその食堂に入ったのは1時過ぎ。
全員の注文は特上海鮮丼で980円(税抜き)
私は5年ほど前から通っていますが、ここに移る前は道路向いにある、これから取り壊される集合住宅の1階にありました。
店は綺麗になりましたが、ここが有名になったのは2009年大阪ほんわかテレビで総合ランキング1位になったからです。
見本に偽りはありませんでした。
1時半以降になるとお店も空いて来るので、お近くの方は是非お出かけ下さい。
私を含め3人は生ビール


一人は地下鉄で帰り、4人はブラブラと新開地~湊川と歩いて帰路に。
追記
お聞きしたことや案内書にあることを簡単に説明しましたが、もっと歴史や史実、現代に到るまでの出来事などが一杯詰まっている所です。
概ね兵庫津の道に沿って歩きましたが、神社、寺院、石碑等周辺に見所も沢山あります。
街中から直ぐの所にあるので、なかなか貴重な存在だと思います。
探索した後は中央市場の食堂街で美味しいものを堪能してください

この記事へのコメント
旅山歩
住職のお話しは面白く聞き入りましたね。
また更新してください。
アルクノ
距離が短いのであまり疲れませんでしたか?
でも、普段と違って交通量の多い街中からのスタートだったので、そちらの気疲れのほうがあったのでは?
私が以前住んでいた町なので、道はよく分かりましたが、歴史に関しては大変勉強になりました。
またこのようなイベント企画を宜しくお願いします。
神鉄ハイキングもどんどん紹介していきますので。
遊子
一石二鳥ですね(*^^)v
特上海鮮丼と
食べたい~~!!
むっちゃん
ぜんぜん知らないものばかり(*^^*ゞ
見てないんでしょうねぇ~
元町駅前に500円の海鮮丼は食べたけど
それより安い!!!行きたい~~~!
アルクノ
ご満足頂けると思いますよ。
ただ特上海鮮丼、見本に偽りなしと書きましたが、ウニが少なめ、イクラもチョロッとでした^^:
アルクノ
連絡してくれたら何時でも案内できますよ。
並みの海鮮丼、税抜価格なので実際は504円になります。
でも、特上の方がお薦めです
gen
わざわざ薬仙寺から水をとりよせたか?
ご利益とかの理由ではなく、
福厳寺で頭が痛くなったことを、
何かを盛られたと考えたようです。
そしてわざわざ薬仙寺より水を取り寄せたのが真実です。福厳寺は鎌倉幕府の菩提寺建長寺の関連で大覚という坊さんの流れで、後醍醐天皇は信用していなかった節があります。
鎌倉幕府は後鳥羽・後醍醐と二人の天皇を隠岐に
流していますが、
後鳥羽天皇が毎夜夢見て果たせないまま崩御された
「帰京」を後醍醐天皇は僅か一年余で実現されたのでしたね。
かって皇位にあった身で流人生活を送ったのはこの他、
淳仁天皇、崇徳上皇、土御門上皇、順徳上皇ですが、
配流地から脱出したのは後醍醐天皇だけですものね。
すざましいまでの執念の天皇です。
倒幕を掲げる後醍醐天皇が鎌倉方の密命を受けた使者
によって毒を盛られると考えられたとおもわれます。
臨済宗南禅寺派の福厳寺は後醍醐天皇の史跡
として有名です。また神戸の港の歴史におい
ても重要な地位をしめます。境内には塔頭二ヶ寺、
起雲庵、常牧庵がありましたが、明治後合併廃
寺されましたが、名目的に方丈〔内殿〕は起雲
庵と言う事になりました。また和田〔和田岬〕
にあった尼寺、円通寺〔円通庵〕も現在は福
厳寺に合併されています。
アルクノ
ほぼ1年前の記事に詳しいお便り、有り難うございます。
博識ですね。
これを読めれるかどうか分かりませんが、御礼申し上げます。
そのような詳しい説明は無かったように思いますが、このように書いて頂くと私も勉強になります。
これからもご教示を宜しく御願いします。
絵日記担当
アルクノ様ブログを迷走していて、ちょうど私も「柴又七福神めぐり」をしてきたところでしたので、あっこれは!と思ってしまいました。
七福神めぐり、兵庫にもあるんだなあと、しかも大仏様までいらっしゃるなんて、知りませんでした。とても勉強になりました。ぜひ行ってみたいです。
アルクノ様のブログをじっくり拝見したら神戸通になって神戸観光もすいすい行けそうです!がんばります!
アルクノ
10年も前の記事で、何を書いたのかよく覚えていないので、
再度読み直してみました。
これは、2010年5月17日に開設して、8日後に投稿したものです。
ブログ開設後4件目の記事になります。
ウェブリの使い勝手がまだよく解らず、かなり省略しています。
写真点数も少なく、今読んでみると、恥ずかしい^^:
この時は「アルバム」というものがあり、そこに写真を投稿したように書いていますが、かなり前に消滅してしまいました。
で、その部分を削除しました。
最近の物ではこちらに詳しく書いています↓
「史跡和田岬砲台と兵庫七福神めぐり(2019.03.14・木)」
https://21846851.at.webry.info/201903/article_2.html
現時点ではTOPページからスクロールすると、下の方に出てきますよ。
「柴又七福神めぐり」を調べると、昭和8(1933)年に開創とあり、すべて葛飾区内にあるので、歩いて1日で巡れそうですね。
七福神巡りは、全国にあります。
「全国の七福神めぐり」で検索すると、
どえらい数の七福神が出てきます。
兵庫県だけで9ヶ所あって、関西では多い方です。
これは兵庫の七福神ですが、神戸の七福神もあるんですよ。
テーマ「神戸のイベント」を開くと、
新鮮な神戸が一杯出て来て神戸通になるかも
お時間ある時「アルクノのブログめぐり」で楽しんでくださいね